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2016年2月19日 (金)

生きていた那須与一

Photo_3    1185年のこの日、屋島の合戦で那須与一が平家側の扇の的を射落した。だが与一はそれから5年後、わずか22歳で京で病死してしまったといわれる。ただし、関西地方には、那須与一には7人の子があり、近江にそれぞれが寺を建立し、弘誓寺(滋賀県東近江市)も7ヵ寺のひとつとされる。与一は病にかかり顔がかわってしまっため出家し、貞永元年に中風のため摂津国で没した。享年64歳。弘前大学教授夫人殺人事件で無罪となった那須与一は那須家36代当主。(2月19日)

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