クレオパトラと蛇信仰
日本の縄文中期土器には生々しく活気に満ちた蛇の造型が多くある。このような造型は祖先神としての蛇信仰がみられるという。蛇を崇めることは古代諸民族で多くみられるが、一説によればエジプトにおこって世界各地に広がったといわれる。中国にも「花底蛇(かていのじゃ)」という諺がある。「美しいもののかげに怖いものがある。」というような意味。
クレオパトラが毒蛇に乳房を噛ませて死んだという伝説があるが本当だろうか。オクタビアヌスとの戦いに破れたクレオパトラは、断食による死を選ぼうとしたが、クレオパトラおよび子どもたちをローマに送る予定であると知らされ、クレオパトラは女王にふさわしい死の道を決意したのである。クレオパトラがどのような死に方わしたのかは本当は今でも謎である。刺したあとがあったため、ある人は髪の間にかくしていた毒針で身を刺したのだといい、またある人はいちじくの籠の中に隠されたアスプ(またはアスピス)に腕をかませたのだろうという。アスプという蛇も2000年以上のことなのではっきりしないがおそらくコブラだっただろう。後世の画家たちはさらに腕ではなくエロチックに乳房に毒蛇という趣向を考えた。エジプト人の信仰では、アスプは太陽神アモン・ラーに捧げた聖獣である。聖獣に乳房を噛ませて生命を絶ったということは、神々の仲間に入ることが許されることと信じていた。エジプト人の眼にはクレオパトラほど立派な死に方をしたものはなかった。蛇が信仰の対象となったのは、外形が男根に似ていて生命の源とみている。つまり女性のシンボルである乳房と男根(蛇)とのエロチックな要素によってクレオパトラの永遠性を象徴したかったのであろうか。
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