シンガポール陥落
太平洋戦争における南方作戦は南方の石油獲得が目的であり、マレー作戦の成否は、以後の作戦に対して決定的意義を持っており、最も重要視された作戦であった。山下奉文中将指揮する三個師団基幹の第25軍は、昭和16年12月8日を開戦日を決定した。そして昭和17年2月15日にはシンガポールを陥落した。
シンガポールは陥しても
まだ進撃はこれからだ
遺骨を抱いて俺はゆく
守ってくれよ戦友よ
(「戦友の遺骨を抱いて」)
山下奉文中将と英軍パーシバル中将の降伏交渉は15日夜に行われた。日露戦争の乃木稀典将軍とステッセル将軍の会見場面を思い浮かべながら会見に臨んだ山下は、降伏条件の一つ一つに注文をつける英国式のやり方と、通訳の拙さに堪りかねて、「イエスかノーか」の回答を求めた。これが勝利に思い上がった傲慢な態度と宣伝されてしまい、山下が願った美しい会見の場は実現できなかった。
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