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2016年2月28日 (日)

利休キリシタン説

120218_131903    千利休が豊臣秀吉から切腹を命じられ自刃したのは天正19年2月28日のことである。一般には大徳寺山門に寄進した金毛閣上に自像を配したという不遜の行為、茶器の売買で不当な利得を得た「売僧(まいす)」があったこと、利休が娘を秀吉の側室にとすることを拒否したことなどが理由にあげられる。千利休の師である武野紹鴎は、心敬法師のいう「連歌は枯れかじけて寒かれ」という侘びの理論に心酔し、茶道の本質もまたそうありたいものだと考えた。天文23年正月、紹鴎の茶会の記録がある。客は松永弾正久秀と今井宗久であるが、囲炉裏のある四畳半の茶室であった。当時の堺には四畳半が流行した。四畳半は、古くは室町時代の足利義政の東求堂同仁斎にその起源をみることができるが、戦国時代に紹鴎の弟子の利休によって草庵風茶室が完成された。四畳半という大きさは、隠者の求めた山里の庵のそれであることがわかる。四畳半は「侘び」を強調した求道的雰囲気にふさわしい。ところで茶室の入口は「狭き門より入れ」という聖書の句にもとづくものだという説がある。当時、キリスト教が流行し、千利休も実は隠れキリシタンだったというのである。高山右近とも懇意な関係である。神戸市立博物館にある南蛮屏風には十字架を持ったキリシタン茶人が描かれており、それが千利休だという説もある。千利休が当時来日していた宣教師たちと交際しており、キリスト教に親しむ機会はあった。また後妻おりきの影響があったと伝えられる。千利休の侘び茶に秘められた精神とはキリスト教だったのか。そしてキリスト教信仰ゆえに秀吉に殺されたのだろうか?

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コメント

知人のイギリス人から、キリスト教が千利休へ与えた影響について聞きました。神戸市立博物館の南蛮屏風をいつか見てみたいです。

千利休は隠れキリシタン?
四畳半の間取りはキリスト教の「狭き門よりはいれ」の聖書の言葉から影響を受けた?

興味深い推理です

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