廃市
福永武彦は作家ながら学習院大学でフランス文学を教えていた。このことにふれて、高見順はパーティーの席上で、「大学の教授で生活しその余技に書く小説などに、生活そのものが創造できるのか」という意味のイヤミを言った。福永はこれに対して「芸術と生活について」と題して「語学教師の味気ない生活も、それはそれなりに一つの生活である」という趣旨の反論をしている。その福永の代表作に福岡県柳川を舞台にした「廃市」という小説がある。象徴的でおよそ映像化は困難なものであるが、昭和58年、映像の魔術師ともいえる大林宣彦が映画化している。よほど大林は作品が好きだったのだろう。舞台は原作には特定されていないが、映画化にあたっては柳川でロケしている。「廃市」という語がもともとあることばであるかの知らない。ともかく北原白秋の「思ひ出」にある。広辞苑にも「住む人が少なくなり、すたれてしまったまち」とある。これでは限界集落のような意味になってしまう。あくまで「廃市」は象徴的、ロマン的な意味合いであろう。映画では「ひそやかに滅んでいく町」といっていた。だが地元にとっては何かと気になる映画かもしれない。映画の最初にもお断り書きのようなものがテロップで流された。物議をかもしたのかもしれない。「廃市」というタイトルでは、映画ロケ地がソフト・ツーリズムとして利用できないだろう。だが当時「廃市を盛り上げる会」というのがあったのかどうか、テロップには確認できる。
作品は東京に住む大学生の江口(山下規介)が卒論を書くために柳川にやってくる。年老いた祖母(入江たか子)と快活な笑顔の安子(小林聡美)の住む旧家にとまる。安子には姉・郁代(根岸季依)がいるが、夫(峰岸徹)とは別居している。その後、夫は愛人(入江若葉)と心中する。
旅先での旅情、ロマン、そこにすむ人々の崩壊などは、漱石の「草枕」などの文学作品にも見られる。「草枕」も映像化が難しい作品である。ミステリアスな面、作品のイメージにあう美女がポイントとなる。この作品の重要部分はヒロイン安子と姉の郁代である。二人は適役だったろうか。原作を読んでいないが、姉は妹よりも美人らしい。根岸季依のイメージとは違う。安子役の小林聡美も当時は美少女キャラで売り出そうとしていた節があるが、現在の彼女の持ち味とは程遠い(彼女の顔を見ただけでクスっと笑える)。やはり製作から30年ほど経た現在で見ると不自然なキャスティングといわざるほかない。「姉とちがって私はおヘチャよ」という台詞は映画用シナリオを付け加えた部分かもしれない。大林は尾道などさびれた小都市の風景を光を取り入れて、映像化するのが得意な映像作家だけに残念な結果となってしまった感がある。ドラマ的には盛り上がりに欠く内容で、主役の小林聡美、山下規介をはじめキャスティング・ミスだったように思う。もちろん好みは人それぞれで評価されも人もいるだろうが、一種のカルト・ムービーに近い作品である。(矛盾するようだが、ケペルはこの映画好きである)ヴィスコンティの「ヴェニスに死す」を意識したのだろうか。ダーク・ボカードやビョルン・アンデルセンに山下規介・小林聡美に充てるのが、冒険すぎる。だが、いろいろと楽しませてくれる映画であることは間違いない。そして柳川へ行ってみたくなる映画だ。(ことばの疑問)
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福岡県柳川はいま廃市どころか、琴奨菊の初優勝で沸いていますよ。
投稿: | 2016年1月30日 (土) 09時12分