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2016年1月26日 (火)

帝銀事件と平沢貞通

Teigin

    昭和23年1月26日、帝国銀行椎名町支店に午後3時過ぎ、東京都防疫消毒班の腕章をつけた色白いやせ型の初老の男が現れた。男は進駐軍の命令で赤痢の予防薬を飲んでもらうことになったという。まず自分で飲んでみせたあと、行員全員に飲ませた。まもなく、12人が死亡、4人が重体となり、現金16万円と小切手が奪われた。毒物は青酸化合物と判明した。

    当初、警察は毒物の専門知識を持つ者の犯行として、犯人像を旧関東軍の細菌兵器研究部隊(731部隊)関係者に絞り込んでいた。ところが、事件から7ヵ月後、突如捜査方針が転換した。8月22日、テンペラ画家平沢貞通が逮捕された。一旦は犯行を自白したが、公判では否認。物的証拠がなく、毒物の入手経路も判明しないまま、昭和30年に平沢の死刑が確定した。しかし、死刑は執行されず、平沢貞通は昭和62年5月10日に95歳で獄死した。遺体は東京大学に献体として運ばれ、脳は薬品処理され、保存された。その後、池田研二(元・東京都精神医学総合研究所精神疾患研究係長)が脳を解析した結果、狂犬病ワクチンによる脳脊髄炎の後遺症と推定される病変を発見した。病変の状態から、認知症にはいたらなかったが、虚言など性格変化を起こすという。

    帝銀事件の真相は依然として謎が多い。占領下の昭和24年、下山事件、三鷹事件、松川事件と三大謀略事件が立て続けに発生している。平沢貞通の冤罪事件もこれらと関連づけて考えることができる。当初、警察は731部隊の犯行と見ていた。もし石井部隊の研究員が逮捕されると、731石井部隊の研究データをアメリカに提供していることや、細菌研究の全容が明るみにでるため、隠蔽工作の指示がGHQから出されたとケペルは推理する。石井部隊の細菌研究者たちが医学界の中心的存在として君臨し、その後、石井部隊出身者が薬害問題をひきおこしていく。帝銀事件の真相の究明は松本清張のミステリー小説からやがて、歴史の研究対象としても重要になっていく。戦後はまだ終わっていない。

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コメント

2チャンネル 帝銀事件 では、平沢犯人説の方が間違いがないようです。最近出版された 科学捜査論文「帝銀事件」(東京図書出版、中村正明著)では毒物は青酸カリだと証明されています。これは、間違いのないものです。松本清張の国家陰謀説は間違いです。

帝銀事件平沢貞通は無実の可能性が高いというのが今日一般的な見解ではないでしょうか。最近、札幌市内で平沢が描いたとみられる春画が見つかりました。生活費を稼ぐため、春画を描いていた事実は日本画の大家としてのプライドから白状できなかったようですが、「金目当て」とする動機を覆す有力な証拠といわれています。

平沢犯人説の本は、平沢を捕まえた刑事が書いたものと科学捜査論文「帝銀事件」だけです。この本については、2チャンネル 帝銀事件 でも取り上げられています。化学については書かれている部分は間違いのないものです。この本の化学の部分だけを読んでも平沢が犯人だと言うことがよく分かります。帝銀事件についてブログを書かれるなら一読をおすすめします。ただし、文系の人に読ませたら何が書いてあるか分からなかったという代物です。

そして、下山事件も現在では科学的にみて自殺だという説が主流です。また、松本清張の「日本の黒い霧」が彼の国家に対する恨みから来るものであるという話が取り上げられています。この「日本の黒い霧」が出てきてから平沢冤罪説に世の中が変わったのです。

どうも、平沢貞通の養子の平沢武彦と申します。犯行毒物について記させていただきます。判決では青酸カリとされていますが、この無機の青酸化合物は、一息で苦しみだす即効性のもので、八歳の子供を含め体重や体質が異なる個体差がある16人の人が、事件のように1分間、毒の効力が出ず、第2薬を飲んでから苦しみだすということは、青酸カリではありえないことです。書くと長くなりますので、詳しくは、祥伝社文庫刊「秘録・帝銀事件」を参照いただければ幸いです。

コメントありがとうございます。罪なくして罰せられる。人の世でこれほど惨いことがあるでしょうか。真実が明らかとなり、冤罪がはらされ、平沢貞通氏の名誉が回復される日が来ることを信じています。

>化学屋
お前、「科学捜査」と名乗ってこの本を宣伝してた著者本人じゃないの?

一年位前に読んだ本「帝銀・下山両事件ほか」(佐藤正氏著・新生出版)の中に平沢氏は見張役だったのではないか?という仮説がありましたが、案外当たっているのではないかと思いました。(それでも、東京駅から椎名町までの時間的なことは疑問が残りますが)
よく言われている、春画を売ったお金というのは納得できません。死刑になるかならないかという土壇場で、当時多くの画家が糊口をしのいでいたと言われる中で、一切これについて言及しないのは理解できません。
10年以上前でしたかテレビでこの事件の再現をしていましたが、青函連絡船から始まるシーン、そして赤い長靴を履きつかつかと犯行現場に向かう犯人、恐怖一杯でした。

あのような犯行を冷徹に実行出来る人間は、よほどそのような状況(目の前で多数の人間が死んでゆくのを平然と見て事を終了する)の場数を踏んでいる人物としか思えないのですが。

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