我に自由を与えよ、しからずんば死を与えよ
パトリック・ヘンリー(1736-1799)は、ヴァージニア州の有能な弁護士だった。州の議員となり、1765年の印紙条例に対し、北米植民地が本国議会に代表を送っていないので、「代表なくして課税なし」(この言葉を最初に使ったのはジェイムズ・オーティスとされる)とヴァージニア植民地議会の決議などで反対運動をひきおこした。1767年、本国議会は新しくタウンゼント諸法でガラス・鉛・茶などの課税を定めた。これも本国製品の不買運動など広範囲の抵抗を招き、茶を残し廃止されたが、反対運動の続いたマサチュセッツでは1773年、ボストン茶事件が起こった。1774年、大陸会議を開き、1775年レキシントンの戦いで独立戦争となり、翌1776年にはアメリカ独立宣言が発表された。1781年のヨークタウンの戦いで大勢が決定したが、1783年パリ条約によって独立が正式に承認され、1787年アメリカ合衆国法を制定、1789年ワシントンを大統領とする新政府が発足した。
「我に自由を与えよ、しからずんば死を与えよ」という有名な文句は、1775年3月23日、ヴァージニアの植民地会議が解散されたため、リッチモンドで開かれた非合法の人民大会においてヘンリーがおこなった演説の一部で、イギリスとの開戦を主張したものである。(世界史)
« 韓服(ハンボク)の美しさ | トップページ | クレオパトラ美女伝説は別人だった!? »
「世界史」カテゴリの記事
- 英領インドにおける高等文官制度(2024.12.20)
- ムハンマドの死後(2024.10.06)
- 世界史探求(2024.05.21)
- ルイ3世(西フランク王)(2024.04.10)
- 唐賽児の乱(2024.02.28)
コメント