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2016年1月12日 (火)

鳥取藩と漂着朝鮮人

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  漂着朝鮮人之図 鳥取県立図書館蔵

    文政2年(1819)1月12日、朝鮮国江原道平海から出国した商船(船長・安義基)が嵐に巻き込まれ、鳥取藩の八橋郡八橋(東伯郡湯梨浜町)に漂着。鳥取藩の役人が発見し、安義基(アン・ウィギ)ら12人を救助し、22日、駕籠にのせて鳥取に送った。行列をみる人たちは道筋にあふれ「見る人皆眼を驚せり。異客等是を見て賞する毎に、ちょうたと云ふ」(「化政厳秘録」)と記している。「ちょうた」とは「いいなあ。いい眺めだなあ」という意味。鳥取藩の岡近右衛門らは漂着朝鮮人を厚くもてなし漂着民の生活は快適であったが、4月に鳥取大火に遭い旅館を焼け出された。4月8日、鳥取を出発し、鳥取から境村までは陸路で、境村からは蜘勇丸と幸要丸で長崎に送りとどけられた。5月23日、長崎に到着するが、船での長旅のため3人が病気となった。その後、対馬を経由して、9月に朝鮮国釜山港へと帰還させた。

   画像「漂着朝鮮人の図」は、安義基が鳥取藩の岡近右衛門に送った感謝状。ただし安義基は干鰯の商人であるのに、この図では両斑の姿で描かれている。(引用文献:「鳥取県の歴史」山川出版社)

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