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2016年1月21日 (木)

西域とシルクロード

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 後漢時代の西域(73-127年ごろ)

   陳舜臣が朝日新聞に「西域余聞」を連載していたころ、タイトルについて、読者から、「西域」を「さいいき」と読むのか、「せいいき」と読むのか、という質問が一番多かったそうである。陳は「読みたいように読んでもらうほかない。個人によって読み方が異なる。おもに仏教関係者は「さいいき」と呉音で読み、歴史学者は「せいいき」と漢音で読むのがふつうである」といっている。

    トルキスタンの砂漠地帯に点在するオアシスでは、かなり古くからアーリヤ系の住民が農耕生活を始め、やがて多くの都市国家が形成された。中国の史書に記された主な国には、亀茲(クチャ)、疏勒(そろく、カシュガル)、于闐(うてん、ホータン)、汗彌(かんみ)、莎車(ヤルカンド)、且末(チェルチュンまたはシャルシャン)、焉耆(えんし、カラジャール)、鳥塁(うるい)、輪台、姑墨(こぼく、アクス)、赤谷、精絶(ニヤ、チャドータまたはエンデレ)、鄯善(ぜんぜん、ミーラン)、楼蘭(ろうらん、クロライナ)、高昌(トルファン)、尉頭(トムシュク)、温宿、楨中、伊循、扜泥、伊吾(アラトゥルク)、柳中、交河(こうが)などの西域諸国があった。その住民は諸都市をつなぐ中継貿易にも活躍するようになったが、代表的な商人はサマルカンドなどを中心とするソグディアナ地方出身のソグド人であった。とくに紀元前後の数世紀間は、東は漢帝国、西にローマ帝国が並び立って東西交渉上でめざましい充実をみせた。漢には西方産の馬や植物・音楽などが、またインドの仏教が仏教美術とともに伝わり、ローマへは東方産の絹がもたらされた。中国産の絹がこの道によって西方に運ばれたので、のちに、この交通路はシルクロード(中国では絲路と書く)とよばれた。(Sven Anders Hedin、世界史)

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