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2015年12月 7日 (月)

前田慶次

   前田慶次(1533-1612)は通称で、本名は利益という。生没年には諸説ありはっきりとしたことはわかっていない。隆慶一郎の小説「一夢庵風流記」(1988)を原作とした原哲夫の漫画「花の慶次」で1990年代になって、傾奇者(かぶきもの)としてその名が広く知られるようになった。養父の前田利久は、前田利家の長兄で、尾張国荒子城主であったが、1567年、利久は「子が無く、病弱であるから」との名目によって隠居し、利久の実弟である前田利家がその所領を継いだ。このため利益は養父に従って荒子城から退去した。1581年頃、信長のもとで大名となっていた義理の叔父・利家を頼り仕える事になる。1584年の小牧・長久手の役では佐々成政に攻められた末森城の救援に向かう。その際に、利家より佐々方から寝返った阿尾城の城代に任じられ、同城奪還に向かった神保氏張らの軍勢と交戦した。しかし1590年頃、利家と仲違いしたため、または利久の死を契機に前田家との縁がなくなった事によって前田家を出奔。この出奔に際しては利家を騙して水風呂に入れ、大いに溜飲を下げたから去ったという逸話が残っている。出奔後は京都で浪人生活を送りながら、里村紹巴・昌叱父子や九条稙道・古田織部ら多数の文人と交流した。上杉景勝が越後から会津に移封された1598年から関ヶ原の合戦が起こるまでの約2年間、上杉家に仕官し、直江兼続の与力として千石を受けた。長谷堂城の戦いに出陣して撤退する直江兼続を励まし武功をたてた。西軍の敗退により上杉氏が30万石に減封され米沢に移されると、これに従って米沢藩に仕え、米沢近郊の堂森に隠棲した。隠棲後は兼続とともに「史記」に注釈を入れたり、和歌や連歌を詠むなど自適の生活を送ったという。

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