ギュスターヴ・エッフェル1832年、誕生日
1832年のこの日、エッフェル塔の設計者ギュスターヴ・エッフェルはブルゴ―ニュのディジョンに生まれた。1889年のパリ万国博覧会開催を決定したフランス政府は、会場入口に1870年の敗戦から立ち直るフランスを象徴する記念碑を建てることを望んだ。いくつかの計画が提出されたが、結局、技師ギュスターヴ・エッフェル(1832-1923)の案が採用される。塔はフランスでつくられた金属による構築物の領域での偉大な進歩の象徴であった。300メートルの高さの塔の出現は前代未聞だった。ちなみに高い建造物といえば、
トリノのアントネリアーナ塔 170m
ワシントン記念塔 169m
ケルン大聖堂 156m
ギゼーのピラミッド 146m
サン・ピエトロ寺院 132m
したがって、エッフェル塔の高さは当時、人間が建てた建造物では世界一だった。だが、同時代の人びとからはひどく嫌われる。1897年2月にはメッソニエ、ジェロームなど官展派の画家と、ドーメ、ケルテス、ヴォードルメなどのアカデミー会員を含む150人の名士によるエッフェル塔撤去の請願書が作成されている。作家のユイスマンは、「穴のあいた燭台」といった。しかし塔の美学は次第に画家たちを魅惑していく。ジョルジュ・スーラ、ラウル・デュフィ、アンリ・ルソーがエッフェル塔を描いた。とりわけロベール・ドローネー(1885-1941)はルソーの影響によってエッフェル塔の連作を描きはじめた。
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