紅白で「テネシー・ワルツ」や「四季の歌」は1度も歌われていない
「ハイビジョンで甦る日の当たらない名作」というキャッチコピーの映画「猛獣使いの少女」(1952)を観賞する。ジャズ・シンガーとして売り出した江利チエミ15歳の映画初主演作。劇中「ツゥー・ヤング」「サーカスの少女」などを歌う。翌年の第4回NHK紅白歌合戦に初出場、以来第19回まで16年連続出場する。曲目は以下のとおり。「ガイ・イズ・ア・ガイ」「ウスクダラ」「裏町のお転婆娘」「お転婆キキ」「ヤムミー・ヤムミー」「さのさ節」「八木節」「ソーラン節」「スワニー」「虹のかなたに」「踊り明かそう」「木曽節」「芸者音頭」「私だけのあなた」「ひとり泣くワルツ」「八木節」。レパートリーはジャズ、ミュージカルから民謡と和洋幅広い。なぜか代表曲「テネシー・ワルツ」を1度も歌うことがなかった。1963年と1964年は紅組の司会も務めた。1962年の歌手部門の高額所得番付は①江利チエミ115万円②春日八郎113万円③三波春夫109万円。
おなじように芹洋子の歌で広く知られる抒情歌「四季の歌」や岡晴夫の「憧れのハワイ航路」などは一度も紅白では歌われていない。
戦後の歌謡史は「紅白」とともにあると言っても過言ではない。その歌謡史の象徴とも言える音楽番組に出演するということは、昔も今も一流歌手としてのシンボル、ステータスにもなっている。芹洋子がわずかに紅白出場が一度だということは意外である。やはり紅白出場は事務所の力が物をいうのだろうか。
芹洋子ディスコグラフィ
野に咲くバラのように 1969
樹氷のように飾れたら 1970
雲よ伝えて 1971
牧歌~その夏 1972
その夕ぐれ 1972
初恋の風車 1973
初恋のデッサン 1973
愛の国から幸福へ 1974
マリモの唄 1974
四季の歌 1976
赤い花白い花 1977
旅にでたい 1978
坊がつる讃歌 1978
花ぐるま 1979
旅の終わり 1979
思い出のアルバム 1983
北航路 1984
しあわせのうた 1985
出逢いを求めて~十和田湖へ 1986
ご当地ソングやキャンペーンソング、CMソング、ほかに童謡、抒情歌、愛唱歌、カバー曲など膨大な数にのぼる。
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