李悝の「法経」の実在性は?
中国古代の法律は秦の孝公に仕えた商鞅の法律が有名であるが、これは「法経」を改めて律としたものと伝えられている。「法経」6篇は魏の文候に仕えた李悝(李克ともいう。~紀元前395年)が成文法を制定して魏の富国強兵を成し遂げて、戦国最初の覇国にしたといわれている。ただし「法経」の現物は現存せず、長い間その実在に疑問が示されていた。1975年に睡虎地秦簡が出土し、その内容が商鞅変法を反映している部分が存在すること、更に魏の法令を引用したと思われる文章が発見されたことから、秦の法令が魏からの移入であることが証明されたこととして「法経」が実在することの見方が強まった。しかし引用された魏の法令は古くとも安釐王時代(在位前276-前243)のものであることが判明し、それにより150年ほど昔の李悝とのつながりまでは立証されていない。
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