無料ブログはココログ

« 13日の金曜日 | トップページ | 美しい昔 »

2015年11月13日 (金)

アッラー・アクバル

Photo
 十字軍のコンスタンティノポリス占領  ドラクロワ

  現代はまさに科学万能の時代である。そして人類史上最大の兇器たる核兵器が現実に使用される恐怖が近づいている。このままの状態で歴史が前進するならば、人類の前途はまさに壊滅あるのみというほかない。ここであらためて問われはじめたのが、巨大化した物欲に急速な方向転換をうながす何ものかの勃興についてである。そこに、こんにち宗教への視線の向けはじめた意味が潜んでいる。しかしながら、中世以前に繁栄した宗教は、近代化のまえにあたかも人間の蒙昧期の所産であったかのようには一蹴せられ、それに取って代わったのが科学である。養老孟司は言う。「現代の3分の2が一元論者だということは、絶対に注意しなくてはいけないんです。イスラム教、ユダヤ教、キリスト教は、結局、一元論の宗教です。一元論の欠点というものを、世界は、この150年で、嫌というほどたたき込まれたはずです。だから21世紀は、一元論の世界にはならないでほしい」換言すれば、戦争は一元論の宗教が原因で起こったといっていることである。科学哲学を論じる人にはこの考えの人は多い。しかしながら、無数の歴史事実を検証し、そこから戦争の真の原因を究明しようとする歴史家の立場から言えば、必ずしも科学哲学の説に賛同できない。あの十字軍は、当初は聖地回復という目的であったが、キリスト教とイスラム教という宗教上の対立のみではなく、政治的、経済的な利害も複雑にからんでいた。島原の乱も、キリシタン弾圧に対する宗教一揆の形態をとっているが、歴史家は幕藩制社会確立過程の収奪強化に抵抗する農民一揆の性格とみている。イスラエルと周辺アラブ諸国とで戦われた中東戦争、パレスチナ武装勢力との紛争、イスラム原理主義によるテロも、宗教上の対立に見えながら、アメリカの覇権に対する反米運動、民族の居住権など民族上の問題などが根底にあるのである。ルネ・グルッセは「十字軍とはヨーロッパの最初の植民地活動である」といっている。第二次世界大戦における太平洋戦争も十字軍以来の欧米による植民地活動であり、中国、インド、東南アジアなど日本を除くほとんどの地域が植民地、半植民地化されていたことを考えると、戦争の原因は宗教というのはうわべの理由であり、領土拡張、植民地活動、経済的権益・利権の争奪戦である、覇権主義が基本構図である。科学哲学の説く宗教一元論悪玉説は妄説である。(世界史)

« 13日の金曜日 | トップページ | 美しい昔 »

「世界史」カテゴリの記事

コメント

戦争の原因は、経済的な利益争奪の背景が必ずある。
一元論は、正義の絶対化につながるから利用しやすい。相対的な正義のはびこる現実社会をまとめるためには、意見統一の立場として好都合だと思われます。

法治主義の原則を宗教由来の原則に依ると、反論を控えなくてはならない。教義は学者の手になる。それは社会基盤のオタク(セクト)化につながります。恐ろしいと思います。
養老さんの言ってる意味は、もっと幅広い融和的な複眼視をしよう、というのが主旨だと思いました。

さぶろたさん、久しいぶりです。いつも読んでいただきありがとうございます。一元論か二元論か。これはギリシア哲学以来の哲学の根本問題ですね。簡単な解説書では二元論、あるいは多元論が優位である、と書かれる場合が多い。歴史学でも多元的、複眼的という史観がもてはやされます。でも宗教とイデオロギー(思想)とは区別する必要がある。宗教は生れた環境や伝統によって左右されるものであるが、思想は生れたのち本人自身が獲得していくもの。宗教の根本にあるのは無意識。若い頃は自分の意識で生きていると思っていたが、年をとると目に見えないもの(自然とか)が協力して、生かされているとう気持ちがする。そういうことを感じるものを、宗教性と呼んでいます。つまり合理性だけでなく、目に見えない働きを心の原点の中においていく。歴史的にみて宗教的対立と見なされきたことは、それぞれの文化、言語の違いや政治、経済などの理由によることが多い。対立問題を簡単に説明するには、宗教の名前を持ち出せばいい。単純に割り切れる。しかし本当は宗教対立ではなく、民族の違いによる対立だということです。

 戦争の原因を宗教の対立と見るのは、近視眼的だと思います。

 戦争は家同士の争い、氏族の争い、民族の争い、社会の争い、国の争いであり、それは支配と抵抗の現場であり、生存競争、権力闘争、のあらわになった部分です。
 宗教も組織社会を構成し、権力を生み出す母体の一つです。
 戦争が起こると、一致団結しなければなりません。

 帰属する社会への忠誠心を高揚させるために、思想、宗教が生み出され、その衰えが危機を招くので、宗教戦争の様を呈するのだと思います。

 多元論なら戦争が起こらないと考えるのは、まさに妄説と言って良いでしょう。

 多元論者もそれに固執すれば、他の説と衝突するのは明白です。

 複眼視しようという気持ちは分かりますが、相手のあることです。
 戦争状態になっていくと、相手に理解を示すことは理的行為、スパイ行為として、弾圧されるでしょう。

 過去の戦争においても、複眼視しようと言う声もあったはずですが、怒号の中に空しくかき消されて行ったことでしょう。

 これは悲観論に聞こえるかもしれませんが、現実論の積もりです。

 宗教が戦争を起こすのでなく、戦争が宗教を利用しているのだと思います。
 

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 13日の金曜日 | トップページ | 美しい昔 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30