魔法の亀
アメリカの細菌学者ハンス・ジンサー(1878-1940)の自伝「彼の追憶R.S.の伝記」(1940)にこんな話がある。
第二次世界大戦前のパリ。小さな店の女主人と店の2階に住む学生がいた。店の正面の出窓には水槽があり、ちっぽけな亀が飼われていた。学生は自室の窓から身を乗り出せば、水槽のなかで楽しげに泳ぐ亀をまっすぐに見おろせることに気づいた。女主人は毎日せっせとパンくずを振りまき、ペットに餌をやっている。そんなある日、あることを思いついた学生は、サイズのちがう6匹の亀と釣竿と網を買ってきた。彼は翌朝早く、窓から身を乗り出して、釣竿で亀をすくいあげ、少しだけ大きなものと取り替えた。学生は6日にわたって、毎朝亀を少しずつ大きなものに取り替えていった。2回目の入れ替えがあったあと、女主人はようやく変化に気づいた。4回目までには、奇跡の成長を遂げる亀のことを興奮しながら近隣中に触れまわった。獣医はあまり餌をやりすぎないほうがいいともっともらしい助言を与えた。6日目に水槽が窮屈になるほど亀が大きくなると、女主人は新聞社に連絡した。パリ・ミディ紙はこの話を載せた。この時点で、学生が買った亀はもういちばん大きなサイズにまで到達していた。そこで、今度は元のサイズになるまでだんだん小さくしていくことにした。これがさらなる反響を呼んで、店の売り上げは記録的にのびた。珍しい亀を見ようとあちこちから野次馬が押しよせてきたのだ。やがて、亀が元の寸法にもどると、学生はもうじゅうぶんだと思い、代役を演じた亀たちを川に放してやった。ペットが急成長したほんとうの理由をまるで知らない女主人は、この珍しい亀を王立動物園に寄贈した。ふたたび大きくなりだすであろう亀を生物学者たちが観察できるように。(Hans Zinsser)
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