儒者たちの赤穂事件
赤穂事件と関わりが深い儒者といえば、すぐに新井白石と荻生徂徠の名前があげられよう。白石は、上総久留里の土屋家に仕官していたことがあるので、土屋の一族とは交渉があった。赤穂の浪人たちが本所二ッ目の吉良屋敷に討ち入った翌日に、白石は、吉良屋敷の北隣であった土屋主税の屋敷を訪問している。白石の残している日記では、ただ訪問したことだけが書いているが、どういう目的で、なんのために行ったのか、よくわからないが、白石は土屋主税に会って前夜の模様を聴いている。白石の所説は、赤穂の浪士たちに同情的であること、少なくとも批判的であったり、冷厳であったりしていないと推測される。また白石の親しい後輩の室鳩巣は、「赤穂義人録」を著して、討ち入りを義とみなし、是認論の立場をとった。他方、否認論の立場をとった代表的な儒者は荻生徂徠である。徂徠の献言は「柳沢秘記」に伝えられるが、幕議において夜盗同然の振る舞いという理由から打首に処するとの決定がなされたことを嘆いた柳沢吉保が、忠孝を顕彰する点から切腹とすべきであるという徂徠の意見によって、討議を変えさせたという話が伝えられている。いずれにせよ、幕府の裁定は吉良邸に討ち入った義士たちの行為が仇討ちとはならず、徒党禁止に違反したということにより、裁定が下されたことに変わりはない。
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