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2015年10月14日 (水)

映画は見世物から第七芸術へ

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バイオグラフ社の広告(1909年)

    アメリカやフランスの科学者によって発明された動く写真は、はじめは見世物としての大衆娯楽でしかなかったが、メリエスやグリフィスやアベル・ガンスら欧米作家たちの創意による分析や構成が加えられ、それら映像のもつリズムやテンポが新しい芸術手段として評価されるようになった。イタリアの若き映画理論家リッチョット・カニュード(1877-1923)は、音楽・舞踏・文学という「時間の芸術」と、建築・絵画・彫刻の「空間の芸術」の既成の6つの芸術をつなぐ第7番目の芸術として、「映画は第七芸術という総合芸術である」と宣言した。(「第七芸術宣言」1911年)

   カニュードのいう映画の総合芸術とは、装置の美術性とか、演技の演劇性とかいう意味ではなく、あらゆる芸術の本質的な諸機能を統一したものという意味で、映画は第七芸術という総合芸術だというのである。

   1900年になって、イギリスのアルバート・スミス、スチュアート・ブラックストンによって、アメリカで最初の映画会社ヴァイタグラフが創立され、ニューヨークに撮影所が設置された。ベントレイ・キャンベルの戯曲「白い奴隷」が、第1回作品として発表されている。1908年になると活動写真はますます盛んになった。エジソン、バイオグラフ、エッサネイ、カレム、ルビン、ヴァイタグラフ、シーリング、パテー、ジョージ・クライン、メリエスなどの会社がアメリカ全土に配給戦を演じた。

    ドイツでは、演劇界の巨人マックス・ラインハルトが、初めて映画を監督、「擲弾兵ローランド」を発表した。スウェーデンでは、スヴェンスカ社が映画制作を開始している。後年、イングリッド・バーグマンを生んだのもこの社である。

    無声映画時代は純粋な映像表現が追求され、表現主義や前衛映画運動が起こり、フォトジェニー、モンタージュの理論が実践された。ロベール・ウィーネ監督の「カリガリ博士」(1919年)は表現主義の画家ヴァルター・レーリッヒが装置を担当し、表現派美術を応用して、第一次大戦後の不安定な社会心理が国民にある共感を呼び起こさせた。ウェルネス・クラウス(カリガリ博士)、コンラット・ファイト(眠り男セザレ)、フリードリヒ・フェアー(フランシス)らも好演している。

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 カリガリ博士

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