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2015年10月30日 (金)

唐人お吉とハリス

Harris_townsend   ペリーは、日本の鎖国を開国へ導いたことで知らない人はいないほど有名であるが、1854年の日米和親条約は鎖国をとく条約として小学校で習うが、実は通商のことが決められていないので、まだ開国していないとする学者も多い。本当の開国は4年後の1858年6月ハリス(画像)の日米修好通商条約の締結によってである。主な内容は、①神奈川・長崎・新潟・兵庫の開港と江戸・大坂の開市②自由貿易許可③別冊貿易章程による関税納付(関税自主権欠如)④領事裁判権の許容⑤居留米人の遊歩区域設定(開港場の10里四方)、という条項を含む不平等条約であった。

   幕末で初代駐日総領事タウンゼント・ハリス(1804-1862)は唐人お吉との悲話で知られるが、それは50歳代以降のことであり、アメリカでは教育委員として活躍した人であることは日本でほとんど知られていない。ハリスはニューヨークのサンデーヒルの貧しい家に生まれたが、公共図書館を利用して独学で語学を習得し、その苦学時代の経験を通じて、教育行政に関心をもった。1846年にニューヨーク市の教育局長となり、授業料の無料化や貧困家庭の子供たちの向上に尽力した。現在もニューヨーク市立大学シティカレッジ図書館には、ハリスが日本駐在時に作らせた星条旗や書簡が保存されている。幕府が夜伽女性として派遣した斎藤きち(1841-1890)はハリスはわずか3日で解雇しており、唐人お吉の物語は作り話である。

   お吉はかつての恋人又五郎(鶴松)と同棲。冷たい世間の噂のため酒と博打におぼれ、それが原因で離婚し、又五郎は急死。お吉は1872年から下田で小料理屋を開いたが酒癖が昂じて失敗し破産する。1890年3月27日、投身自殺した。(Townsend Harris   )

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