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2015年9月 2日 (水)

「貧乏物語」の頃の日本

   いま格差社会という言葉をよく耳にする。正確な定義や語源を調査していないが、つまるところ「貧乏の問題」と考えている。どの資本主義国にも、厖大な数の貧乏人がいる。世界の人口の大多数は貧乏人であって、人間らしい物質的文化的生活をいとなむこともできない状態である。しかも、貧乏人は、働いても働いてもやはり貧乏人であり、富裕になることはない。

    はたらけどはたらけど

    なおわが暮し楽にならざり

    じっと手をみる      (石川啄木)

   この貧乏の問題を経済学で課題解決しようとしたパイオニアは河上肇(1879-1946)であろう。『貧乏物語』は、(1)まず、いかに多数の人びとが貧乏しているか、の事実について説明し、(2)つぎに、なぜこのように多数の人びとが貧乏しているか、の理由について述べ、(3)最後に、この貧乏を資本主義社会からなくするためにはどうしたらよいか、について著者の意見をのべるという、上、中、下の三つの篇から構成されている。『第二貧乏物語』においても、河上が取り組んだ問題は同じであった。しかし、『貧乏物語』と『第二貧乏物語』とのあいだには、大正5年と昭和4年とのあいだの激動の13年の歳月が流れ、資本主義全般的危機の段階にはいり、ブルジョワ経済学者であった河上がマルクス主義経済学者に転化したために、『第二貧乏物語』では、問題の捉えかた、解決の方法が、『貧乏物語』とはまったく異なる。

   大正5年という時代は、第一次大戦の3年目にあたり、ロシアでは、ペトログラードの10万労働者の政治スト、プチロフ工場のスト、バクーの食糧騒擾、ドイツの5万労働者のスト、ペトログラードの12万労働者のスト、反戦水兵の裁判反対のためのペトログラード13万労働者の政治ストなど、ストや騒擾が全国に拡大しており、レーニンの『帝国主義論』が出版されたのもこの年だった。また、ドイツでは、この年にメーリング、リープクネヒトなどがスパルタクス団を組織して反戦運動を展開し、フランスでも社会党大会で反戦派が戦争派に匹敵する票数を獲得するまでに発展した。

    つまり、戦争は各国の矛盾を先鋭化し、階級闘争を激化しつつあった。日本では、第一次大戦中に、戦争のための欧米諸国の競争が弱まり、その商品が東洋市場から一時的に後退した間隙に乗じて、企業の新設拡張がものすごい速度でおこなわれた。資本家、とくに紡績、製鉄、造船、海運の独占資本家のもうけは、おとぎ話のように大きかった。しかし物価は毎年上がりつづけ、労働者の生活はますます苦しくなっていった。河上肇の『貧乏物語』は、こういう客観情勢のもとで書かれ、ロシア革命の年の大正6年に単行本として出版した。(参考:『河上肇 その人と生涯』宮川實)

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