歴史と年代
世の中には歴史が好きだという人が多いようですが、その場合に、いったい歴史をどのように考えているかという点になると、まことに千差万別である。大河ドラマのような歴史的な物語りを歴史と考えて、そうした物語りを読むことの好きな人。あるいは、歴史の上で明らかにされていないこと、しかも現段階ではこれを決定的に解明することが全く不可能な事柄について、いろいろと推理をめぐらすことのみが、歴史学の上での思考と受取り、そうした推理をたのしむ人。あるいは自分の家や郷土に関する有名な人物の事績を知り、またそこに起こった歴史事象に深い理解を持つことに最大の喜びを感じる人。さらに歴史の流れそのものの中に沈潜して、過去の人々の社会的営みのあとをたどり、個々の歴史事象の歴史的意味を追求することに多大の関心を寄せる人。このように歴史の専門的学者は別として、「歴史が好きだ」といちがいに言っても、どのような意味で歴史が好きなのかということは、簡単には割り切れない。複雑な内容をもっているものとしなければならない。では歴史とは何か。ここでは歴史哲学的な命題に、論理的な解釈を与えるつもりはない。しかし1つだけ言っておかねばならないのは、歴史が過去の事象を直接に扱う学問であって、その過去の事象とは、過去における政治・経済・思想・文化等の分野において、継起的に存在した種々の事象であるという点である。時間、あるいは時代の流れを無視しては、歴史事象・歴史事実はなり立たないといえよう。歴史事象の舞台は転変する時代の流れである。そしてその流れそのものがまた歴史そのものである。だから、時代の推移、年代の別ということを無視したり、これを超越したりするところには、歴史は存在しないのである。このように考えれば、いかなる意味での歴史であっても、年代の流れと時代の画期とを知らなければ、正しい意味で「歴史」に接することはできないということが明白になると思う。そうしてそうした年代の流れや歴史事実の生起する時間的関係を簡明に示すのが年表である。歴史を学び、歴史を読むとき、年表はつねに必要なものと言わねばならない。
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