戸野みちゑと清末の幼児教育
清末、日本人女性が中国初の公立幼稚園「湖北幼稚園」の初代園長を務めていた。1903年春、湖広総督・張之洞は教育の近代化にも積極的であった。端方は任憲吉を幼稚園の監督に任命して日本に派遣、教材・教具の購入及び保母の招請にあたらせた。そして同年秋、日本人教習3名、戸野みちゑ(画像)、丹雪江、武井ハツの着任を待って開設を準備、1904年2月に湖北幼稚園は正式に開園したのであった。戸野は2年間湖北幼稚園の園長を務め、丹・武井が補佐した。戸野みちゑは1890年に東京女子高等師範学校を卒業後、京都府師範学校をへて、彦根・長野・名古屋などの高等女学校の教諭を歴任、当時は母校で教鞭をとっていたという。帰国後も主に女子教育や中村高等女学校、文華女学校など東京市内の女学校の校長を歴任、十文字学園の創設者の1人としても名を連ねている。(参考文献:「戸野みちゑと中国初期の幼稚園教育」権明愛、上垣内伸子 十文字学園女子大学人間生活学部紀要9-29-38、2011年)
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