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2015年8月 5日 (水)

一番電車が走った

20130606150125926_ja_2_original   広島電鉄では戦時中、男性運転手、車掌が徴兵される中、労働力確保のため昭和18年4月に家政女学校を開校した。生徒は国民学校高等科の女子卒業生(14歳)が対象で、3年制。雨田豊子は昭和20年8月6日の早朝、電車を運転していた。午前8時15分、御幸橋の手前で宇品方面に電車を走らせていたとき、ピカッと光ったあと猛烈な爆風と爆音でガラスが割れ、そして暗闇が襲い、豊子は気絶した。電車から投げ出され、気が付くと防空壕の中だった。3日後、己斐・西天満町間で運転が再開されると、豊子は頭に包帯を巻いたまま一番電車を運転していた。

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