尾張名古屋は城でもつ
一杯のコーヒーを注文すると、トーストやサラダ、そして茶碗蒸しまでついてくる名古屋モーニング。何事にも派手好きな名古屋気質。昭和8年市庁舎竣工記念として「大名古屋祭」が盛大に挙行された。
名古屋城は江戸幕府御三家筆頭、尾張徳川家17代の居城で、金鯱城、金城、蓬左城の別名がある。「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ、尾張名古屋は城でもつ」と俗謡にも歌われるように、名古屋は城とともに誕生した都市であり、江戸城(東京)、大坂城(大阪)と並らべ称せられる。ふつう日本三大名城という場合は、普請(築城術)の観点から江戸城を別格扱いとし、代わりに熊本城を入れる場合もあるが、いずれにしても名古屋城は日本を代表する名城であろう。
名古屋城の生い立ちは、戦国時代に今川氏親(1473-1526)が、尾張国愛知郡那古野に築城したのがはじまりである。その後、勝幡城主・織田信秀(1508-1551)の奇計によって奪取された。その年は、享禄5年(1532年)とも天文7年(1538年)ともいわれる。織田信長はここで成長している。関ヶ原合戦に勝利した徳川家康は、慶長14年、「名古屋に城を築かば日本半国の勢を以て責めるとも落ちべからず」と旧城跡を拡大しての築城を命じる。牧助右衛門が検地縄張りにあたり、翌年、加藤清正、福島正則、池田輝政等をはじめとする西国、北国の諸大名20家が到着して築城にかかわった。
元和元年、徳川義直が本丸に入り、翌年に二の丸御殿の完成をみた。以来250年間、徳川御三家の一つ尾張公の居城として伝領されてきたが明治の世になって陸軍省鎮台がおかれ、さらに本丸が離宮(宮内省)となった。
尾張徳川家藩主17代
初代・徳川義直(1600-1650)
2代・徳川光友(1625-1700)
3代・徳川綱誠(1652-1699)
4代・徳川吉通(1689-1713)
5代・徳川五郎太(1711-1713)
6代・徳川継友(1692-1730)
7代・徳川宗春(1696-1764)
8代・徳川宗勝(1705-1761)
9代・徳川宗睦(1739-1799)
10代・徳川斉朝(1793-1850)
11代・徳川斉温(1819-1839)
12代・徳川斉荘(1810-1845)
13代・徳川慶臧(1836-1849)
14代・徳川慶勝(1824-1883)
15代・徳川茂徳(1831-1884)
16代・徳川義宜(1858-1875)
17代・徳川慶勝(14代の再勤)
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