賽金花(さいきんか)
賽金花(1874-1936)の本名は趙彩雲、また富彩雲、傳鈺連、曹夢蘭、趙霊飛などと称した。江蘇省蘇州の貧しい家に生まれ、娼家に売られ、艶名を馳せた。それが清末の著名な官僚洪鈞に愛され、妾となった。洪家には年上の正妻、病弱な第二夫人がいたが、洪鈞がロシア、ドイツ、オーストリア、オランダへ特命全権公使として出国する際に、若い彩雲も同道した。そして利発な彼女はベルリンでドイツ語を習得した。洪鈞は帰国後高職についたが、間もなく北京で病死している。彩雲は洪家を出てから、再び天津の妓院に戻り、賽金花と名乗った。そこで義和団事件に遭遇した。そして命からがら北京へ逃げる。そのとき北京へ乗り込んだ八ヵ国連合軍の司令官がドイツのヴァルデルゼー将軍であった。その宿舎にあてられたのが賽金花である。彼女はヴァルダーゼーを説得し、北京市内での連合軍と市民の衝突を回避させた。賽金花はそののち、抱えの幼妓を虐待死したという罪で投獄され、出獄後は貧困な生活を送り、北京の陋屋で62歳で息をひきとったという。(アルフレート・フォン・ヴァルダーゼー)
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