峠三吉「原爆詩集」
ちちをかえせ ははをかえせ
としよりをかえせ
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり
くずれぬへいわを
へいわをかえせ
この詩は峠三吉(1917-1953)の「原爆詩集」の冒頭「序」にある「にんげんをかえせ」である。峠三吉は大阪府豊中市の生まれ。1945年、広島で原爆にあい、原爆症に苦しみながら文化運動・原水爆反対運動に尽力し、51年に「原爆詩集」を刊行した。凄惨な事実を即物的に歌い、詩における最も早い原爆体験の集中表現として注目され、原爆への抗議を呼び起こす大きな力となった。1953年3月10日この世を去った。
原爆詩集 青木書店 1951
原子雲の下より 青木書店 1951
「死が早すぎた峠三吉」 秋山清 新日本文学8-5 1953
「峠三吉のこと」 前田芳雄 人民文学4-6 1953
風のように炎のように 峠三吉追悼集 峠三吉追悼集出版委員会 1954
峠三吉と許南麒 岡本潤 岩波講座文学・創造と鑑賞1 1954
「武器をきたえつづけた詩人 峠三吉の作品と生涯」土井大助 文化評論24 1963
「ユートピア・ヒロシマ」 峠三吉 現代の眼6 1965
にんげんをかえせ 峠三吉全詩集 風土社 1970
八月の詩人 原爆詩人峠三吉の詩と生涯 増岡敏和 東邦出版社 1970
「峠三吉の詩における死と愛 「原爆詩集」にいたる道程」 且原純夫 新日本文学26-2 1971
「詩人の運命 峠三吉・その原爆詩の弾道」 増岡敏和 民主文学69 1971
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