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2015年8月 2日 (日)

契丹古代史

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  後遼の朱全忠が唐を奪って以来、わずか50年の間に、華北に五代十国が割拠興亡した。五代には北方に契丹が興起して中国を侵した。唐のころ、内モンゴリア東部のシラムレン川流域に遊牧していた契丹部族は、五代はじめ耶律阿保機によって統一された。これが契丹の太祖である。太祖は統一後さらに東の渤海国を討って東丹国を建てた。また漢字をもとに契丹文字を制定した。太祖を継いだ太宗耶律徳光のとき、中国では石敬瑭が後唐を滅ぼして後晋をたてた。このとき彼は契丹の援助を得たため、約束によって長城内の燕雲十六州を契丹に割譲した。太宗は国号を遼とさだめた。石敬瑭が没すると南進を開始し、946年後晋を滅ぼして開封に入った。しかし異民族の支配を嫌う漢人の反抗や、気候風土の違いからまもなく北方に引き上げた。

   契丹族(葉キタイ部族)は蒙古種族の一分派で、4世紀以来、シラムレン川流域に遊牧していた。シャルムート(蕃密 Sharmut)フラトリーとヤルート(耶律、Yaliut)フラトリーからなる二分体制をそなえていた。数個の氏族が、それぞれのフラトリーに所属し、おのおのが戦時酋長バガトール(莫賀弗)、平時酋長ネグーチェフ(辱紇主)を戴いていた。彼らの古典的なこの氏族社会を分裂させたものは、ほかならぬ唐王朝の強力な羇縻政策である。またウイグルの政治的影響力が強く及んでいた。この遼建国以前の契丹古代史については、古くは松井等や愛宕松男などの先行研究があるが、関西大学の岡本優紀は李徳裕が編纂した『会昌一品集』を中心に8世紀後半から9世紀中葉にかけての契丹諸部の様相を明らかにしている。今後の研究の深化を期待したい。

参考:会昌一品集(四部叢刊初編縮本、商務印書館)
松井等「契丹勃興史」 満鮮地理歴史研究報告1、1915
愛宕松男「契丹古代史の研究」 東洋史研究会 1959

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