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2015年8月12日 (水)

大航海時代以前におけるユーラシア東西文化交流

   ユーラシア大陸は、5476万㎢という広大な面積をもち、その内にはヨーロッパ、西アジア、南アジア、中央アジア、東アジアなど、古くからの文化圏を有し、さまざまな国家が興亡をくりひろげてきた。日本では長らく古代文明の誕生を「四大文明」として固定化してきたが、それぞれの文化圏が各地域の独自性とともに、東西の交易活動によって人が往来し、文字や文物などが伝播・交流してきた多様性が説明しにくくなる。とくに中国文明=黄河文明としてきたが、長江文明を看過することはできない。だが東西相互の史料の一致や、物的証拠などを十分に揃えることは困難であり、その検証作業は難しい。いわゆる一元論か多元論か。二例あげると、いちばん有名なのは騎馬民族説。東北ユーラシア系の騎馬民族が、朝鮮を支配し、やがて日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の王朝を支配ないし合作して、大和朝廷を立てたという説。江上波夫がこの仮説を提唱するも、学界では否定されている。また有名な法隆寺のエンタシスなどもその起源をギリシアにあると仮説を立てたが、よく知られるわりには、学問上で実証されたわけではなく、今日においてはギリシアと法隆寺とは言う関連性が低いという考えが一般的である。

人類はるかな旅

  約20万年前の東アフリカで誕生したホモ・サピエンスの集団は、10万年前にシナイ半島を渡り、ユーラシア大陸に分布した。日本列島にはさまざなルートが考えられる。東南アジアに到着し、北上して日本列島に流入するというルートが有力である。(沖縄・港川人骨)。旧石器時代。前3万5000年移動狩猟生活。前3500年ころから新石器時代はじまる。

 気候の温暖化→文明の誕生。メソポタミア(ウル第一王朝)。エジプト(ノモス)。前2000年ごろ黄河文明の彩陶文化(オリエント文明の影響がみえる)。秦始皇兵馬俑(ギリシア美術の影響)。しかしこれらは推論の域をでず、実証することはなかなか難しい。後漢書に記された「大秦国王安敦」は本当にローマ皇帝の使者であるのか?ローマ側の史書には記述がなく、献上品はインドやアフリカのものであることなどから、ペルシアの商人が偽って中国と貿易を企てたのかもしれない。前4世紀ころから中央アジアやモンゴル高原、南ロシアにかけて遊牧騎馬民族が出現した。スキタイ、匈奴、鮮卑、柔然、エフタル、ウイグルそしてモンゴル。13~14世紀のユーラシア大陸はモンゴル帝国の成立によって、政治的秩序がもたらされ東西交流が発展した。

部族・国家の多様性(ユーラシア諸民族の興亡)

内陸アジアの遊牧民 スキタイ文化(南ロシア、ギリシアの影響を受けた青銅器文化)

匈奴が東西貿易権と中央アジアの征服を図る 漢との抗争 4世紀匈奴の西進(フン族の移動)→ゲルマン民族の大移動

西域諸国 亀茲 温宿 于闐 疏勒 姑墨 焉耆 楼蘭 鄯善 且末 杆彌 莎車 康居 奄蔡 大苑 烏孫 大月氏 安息

朝鮮 高句麗 百済 新羅 高麗王朝 李氏朝鮮 渤海

日本 徐福伝説 倭国 邪馬台国と卑弥呼 倭の五王 大和王権 倭寇と元寇 琉球 

チベット 吐蕃 吐谷渾

東南アジア ヴェトナム(ドンソン文化)

東モンゴリア 契丹→遼→西遼 モンゴル帝国 

トルコ系民族 鮮卑 柔然 エフタル 突厥 ウイグル ガズニ王朝 セルジューク王朝、ホラズム王朝 ゴール王朝 奴隷王朝 ティムール帝国 オスマン王朝

イスラム アッバース朝

イラン系民族 ペルシア パルティア ササン朝

スラブ民族

物の交流と多様性 西から東へ、東から西へ

原始農耕文化の伝播  ジャルモ遺跡(前6800年~前5800年頃) エンマー小麦・豆類、ヤギ・犬・豚の家畜化。黄河流域のアワ・キビ文化、長江流域のイネ。河姆渡遺跡(前5000年~前4500年頃)→日本の縄文文化(菜畑遺跡 熱帯ジャポニカ)→弥生時代の水田耕作(温帯ジャポニカ)

日本への土器の伝播 西アジアの彩文土器(前5000年頃) 仰韶文化(前4000年~前3000年) 縄文土器

日本への銅・青銅  メソポタミア・エジプト(前3500年) 二里頭文化(前2000年)→殷・周→朝鮮半島へ伝播(大邱遺跡)

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 青銅製の鏃(朝鮮・大邱)

鉄の伝播 小アジア(前1500年頃) ロシア沿海州クロウノフカ遺跡・ポリツェ遺跡(前1000年頃) 中国では殷時代に鉄が使用された

  インドやイランの文物が、「絹の道」により中国に伝播した。東アジアから西方に伝播したものに、生糸や絹、時代がくだると製紙法や養蚕技術、火薬・羅針盤の伝播などがある。またヨーロッパでは、中国産の陶器や茶、東南アジアの香辛料がもてはやされた。

ヒトの交流史

前334年 アレクサンドロス大王の東征(~前333)
前139年 漢の張騫、西域に使いす(~前126)
94年 班超、カシュガルを討ち、西域50余国を服属
97年 甘英をローマに派遣する
166年 大秦王安敦の使者、中国に来る
399年 法顕、天山路よりインドに出発(~413)
401年 クチャの僧、鳩摩羅什が長安において仏典の翻訳を開始する
629年 玄奘、西域よりインドに出発(~645)
635年 ペルシア人オロボン阿羅本、景教を伝う
1271年 マルコ・ポーロの東方旅行(~1295)
1325年 イブン・バトゥータの大旅行(~1349)
1562年 朶思麻、オスマン銃を伝う

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