中国史 5
UNIT5.商と周辺の青銅器文明
商の成立 殷という国名は盤庚が殷の地に都して以後によばれたもので、もとは商と称していた。甲骨文には商とある。湯王が前1600年ごろ夏の桀王を滅ぼし建国。文化的には甲骨文字が生れて記録が行われ、青銅器の鋳造がさかんとなる。
殷墟 河南省安陽市の北西にある小屯村から国都址が発掘され、「史記」にある殷墟が確認され、商王朝の歴史的実在が証明された。青銅器、象牙細工、白陶、子安貝などのほか、甲骨文字が出土し、商文化の実態が明らかにされた。
商の政治 王は、日常的に上帝に諸事の吉凶を占卜でたずねるという神意一辺倒の祭政一致の神権政治である。
商の社会構造 国家とはいえ、その実態は邑という集落で構成された連合体(邑制国家)で、商王はそれら邑を掌握する盟主。
周辺の青銅器文明 中原以外の地域でも青銅器文明が成長していた。長江中流域の新干大洋洲墓、四川省三星堆(画像)、四川省金沙などで多量の青銅器が発見されている。5000年ほど前の時代である。
商の滅亡 周の武王が前1024年、軍を率いて盟津から黄河を渡って攻めてきたので、紂王は牧野で会戦したが、大敗し滅亡。
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