徐福が上陸した新井崎神社
徐福は秦の始皇帝に滅ぼされた斉の国の人。学問のある教養人で、道教を司る神仙方士であった。徐福は、東海に浮かぶ神仙島に不老不死の仙薬があると始皇帝に上申した。始皇帝はそれに興味を示し、仙薬を手に入れるようにと命じた。そこで徐福は3000人の童子・童女を引き連れ、東海に乗り出した。その結果、徐福の一行がたどりついたのが日本だった。徐福伝説は長い間、中国でも単なる伝説であり徐福は実在の人物とは認められていなかった。しかし1982年、羅其湘という学者が江蘇省に徐福が住んでいたと伝わる徐阜村(徐福村)が存在していたことが判明した。1985年、「説徐福到黄遵先」として報告され、近年徐福研究が見直されている。日本にやってきて、着いたところは有明海だった。現在の佐賀市諸富町あたり。このほか、徐福上陸の伝承地は、北は青森から南は鹿児島まで全国に33ヵ所もある。舟屋の家並みで知られる京都府伊根町にも徐福渡来伝説が伝わる一つ。徐福が上陸したのは「ハコ岩」といわれる岸壁であった。そこで徐福は漁撈や農耕の技術を教え、住民に慕われ、死後、新井崎神社に祀られたという。
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