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2015年7月 4日 (土)

鏡久綱と山田重忠

    源実朝の急死によって勃発した承久の乱。挙兵した後鳥羽上皇だったが、泰時を総大将とする幕府軍が19万余りの大軍であるのに対して、朝廷方は北面の武士、僧兵などを合わせてもわずか2万数千にすぎなかった。両軍の合戦は木曽川から始まったが、多勢に無勢、朝廷方の藤原秀康はほとんど戦いらしい戦いもせずに敗走した。そんな朝廷方の中、奮戦した2人の武将がいた。鏡久綱は「逃げる途中で討たれて無様に死ぬよりも、ここで足止めして死ぬ」と自ら志願して残った。岐阜県各務原市前渡はむかし「摩免戸(まめど)」と呼ばれ、最も重要な陣が置かれていた。鏡は奮戦したが自害して果てた。杭瀬川に止まって奮戦した山田重忠は京都に逃れて嵯峨野で自害した。

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 承久の乱戦没者供養塔(各務原市)

 

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