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2015年7月 6日 (月)

家定は暗愚だったのか

    第13代将軍徳川家定が倒れたのは安政5年6月25日であるから、死の11日前である。この日は諸大名に総登城が命ぜられ、紀州慶福(7月21日家茂と改名)を世嗣に決定した旨の発表があり、そのお広めとして慶福以下に御対顔があったその日である。家定はそのあと急に工合が悪くなり、当時大奥に勤めていた佐々鎮子の話によると、松の廊下から人につかまってお出になったという。そしてそのまま回復を見ず、7月6日申の下刻(午後5時)亡くなった。数え年35歳である。死因はコレラという説もある。

    家定は12代将軍・家慶の三男で、「幼少にて重き疱瘡に罹り給ひ、満面の痘痕に醜くなららせれ、且病身がちなる上、俗に謂ゆる癇症にて、眼口時々痙攣し、首また之に従い、一見笑ふべき奇態を為し、言語も亦やや訥して吃るが如くなりけり」(「徳川慶喜公伝」)といった気の毒な生立ちで、成人するとその癖を恥じて人に会うのを厭い、「御簾中は前後三人まで迎へられしかど、曽て男女の語らひもなら」ざる状態で、ひどい抑鬱症に陥っていたらしい。大河ドラマ「篤姫」で家定を好演した堺雅人と原作者の宮尾登美子が文藝春秋で対談している。それによると宮尾登美子は家定の癇症を水銀中毒だったとしている。「徳川家に限らず、貴族の奥さんは自分で子供を育てずに、乳母を雇って、お乳を飲ませます。その乳母が厚塗りのお化粧をしていて、赤ちゃんが舐めるんですよ、白粉を」そして宮尾は「(家定は)さほど暗愚じゃなかった」と言っている。

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コメント

( ̄ー ̄)ニヤリ家定の奇行ぶりは歴史上有名だが、持病持ちであっただけで、普通であったようだ。
私も歴史小説書いているが、愚かな将軍には仕立ててない。ただ変った性癖であったくらいの描写にしてある。

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