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2015年7月13日 (月)

なぜ「東海道」四谷怪談か? 

167   鶴屋南北の名作「東海道四谷怪談」の下書きとなったのは、四谷左門町の田宮又衛門の娘お岩が、摂州浪人、伊左衛門を婿にとった。2人には子がなく、伊左衛門は浮気をして、妾のおことに子ができて、お岩は家を追い出された。お岩は逆上して、四谷の堀に身投げしたといわれている。その後、田宮家には怪しいことが続き、おことは殺され、伊左衛門も狂死し、家は断絶したというのである。この実話を参考にして鶴屋南北は「東海道四谷怪談」を書きあげた。だがタイトルにわざわざ東海道と付けたのは何故か?四谷は甲州街道にあり、東海道沿いにはない。この謎をはっきりと説明する定説はない。当時のベストセラー「東海道中膝栗毛」にあやかって「東海道」と付けたほうがヒットすると考えたのか。あるいは当時、東海道は「あずまかいどう」とも読んだ。京都から見て江戸は「あづま」にある。東海道でも甲州街道でもいいが、甲州街道の四谷も「あづまかいどう(東海道)に入ると考えた。最後の説が最有力なのだが、実際にはない東海道の四谷とすることで、この怪談を作り話と最初から断っているためではないだろうか。

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