なぜ「東海道」四谷怪談か?
鶴屋南北の名作「東海道四谷怪談」の下書きとなったのは、四谷左門町の田宮又衛門の娘お岩が、摂州浪人、伊左衛門を婿にとった。2人には子がなく、伊左衛門は浮気をして、妾のおことに子ができて、お岩は家を追い出された。お岩は逆上して、四谷の堀に身投げしたといわれている。その後、田宮家には怪しいことが続き、おことは殺され、伊左衛門も狂死し、家は断絶したというのである。この実話を参考にして鶴屋南北は「東海道四谷怪談」を書きあげた。だがタイトルにわざわざ東海道と付けたのは何故か?四谷は甲州街道にあり、東海道沿いにはない。この謎をはっきりと説明する定説はない。当時のベストセラー「東海道中膝栗毛」にあやかって「東海道」と付けたほうがヒットすると考えたのか。あるいは当時、東海道は「あずまかいどう」とも読んだ。京都から見て江戸は「あづま」にある。東海道でも甲州街道でもいいが、甲州街道の四谷も「あづまかいどう(東海道)に入ると考えた。最後の説が最有力なのだが、実際にはない東海道の四谷とすることで、この怪談を作り話と最初から断っているためではないだろうか。
« 世俗内的禁欲 | トップページ | 古本集めてドミノ倒し・岐阜 »
「日本文学」カテゴリの記事
- 畑正憲と大江健三郎(2023.04.07)
- 青々忌(2024.01.09)
- 地味にスゴイ、室生犀星(2022.12.29)
- 旅途(2023.02.02)
- 太宰治の名言(2022.09.05)
コメント