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2015年7月 5日 (日)

風信帖

Photo    空海が最澄に送った手紙三通を集めて一巻の巻物としたもの。その第一通が「風信雲書、天より翔臨す」と書き出しているところから、「風信帖」の名で呼ばれる。空海と最澄の親交は、かなり親密なものであった。当然ながら、空海の手紙は、最澄のいた比叡山延暦寺に伝えられていた。ゆったりと重厚な筆使いは、明らかに斬新なもので、空海以前の日本書道には見られない。空海の40歳前後の筆跡と推定されるが、洗練された筆致は、その書風の完成が窺われる。ところで、「風信帖」の三通の書状は、いずれも月日のみで、年の記載がなく、弘仁元年から3年まで諸説ある。財津永次は弘仁2年(811)とする結論をとなえた。これに対して、秋宗康子は、弘仁元年説とされて、現在に至るまで定説はない。

   空海と最澄、両者は親密な間柄だったが、後に決別する。その原因は、最澄の溺愛する弟子、泰範(たいはん)を空海にとられたことや、空海による「理趣釈経」の貸与拒否が挙げられている。

参考文献:財津永次「伝教大師消息について」田山方南華甲記念論文集所収、秋宗康子「最澄と空海の往復書簡について」小葉田淳教授退官記念国史論叢所収

「最澄か空海か」 Ryu Seledtion 寺林峻 経済界 1986

「最澄・空海」 日本の仏教思想 渡辺照宏 筑摩書房 1986

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