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2015年7月30日 (木)

谷崎潤一郎忌

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 熱海在住時代の谷崎潤一郎。右は高峰秀子

   本日は谷崎潤一郎没後50周年(1965年の忌日)。7月30日は他に、伊藤左千夫(1913年没)、幸田露伴(1947年没)、今日出海(1984年没)、小田実(2007年没)らの忌日であり、作家命日の特異日である。

    谷崎潤一郎(1886-1965)は79年間の生涯で何度住居を変えたのだろうか。おそらく40回を超えるだろうが、ホテル、別荘、マンションの仮住居も数えるともっと多い。とくに大正12年に箱根で関東大震災にあって以降、京都上京区等持院へ、続いて要法寺へ、そして兵庫県西宮市苦楽園に転居すると昭和18年11月まで阪神間を転々としている。有名な「細雪」は神戸市東灘区住吉東町の倚松庵で書かれたといわれる。関西ブルジョア家庭が描かれているので、神戸で執筆した印象が強いが、実際にその多くを執筆したのは熱海である。昭和17年ころから、谷崎は「細雪」を執筆のために熱海の地を選んだ。昭和17年4月には熱海の西山598番地に別荘を購入している。そして当時の居住地であった神戸が空襲にあう危険がてでてきたので、昭和19年4月に熱海に疎開している。戦後、谷崎は京都の南禅寺と左京区下鴨泉町に転居したが、京都の冬の底冷えの寒さに耐えられず、昭和25年2月、再び熱海に転居し、雪後庵と名づけた。昭和39年には臨終の地となる神奈川県湯河原町吉浜字蓬ヶ平に「湘碧山房」に新築移転している。

    このような引越し魔であるが、その根底には谷崎一流の美意識があるように思える。「細雪」の執筆にはあえて関西をさけて熱海を選び、「新訳源氏物語」のためには京都を選んでいる。作品を書く上げるためには、積極的に環境を変える必要があったのであろう。

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