皇妃テオドラの功罪

聖ソフィア聖堂のモザイク。中央はキリストを抱くマリア、右側がコンスタンティヌス帝、左側はユスティニアヌス帝。
テオドラ(500頃ー548)の父はヒッポドロームつまり、馬車競技場で働く、熊の世話係だった。彼女自身も子供のころから踊り子として働いていた。そしてその美しさが、ユスティニアヌスに見初められたのだ。皇妃テオドラは、弱気な夫を助けた。532年のニカの乱の際、テオドラの毅然とした態度は有名である。
「たとえ命ながらえることができたとしても、今は逃げるべきではありません。この世に生まれたものは、いつか必ず死を迎えます。皇帝たる者、逃亡者になることなど決してあってはならないのです。私は「帝衣は最高の死装束である」という古の言葉に深い共感を抱いています」
これによって勇気を取り戻したユスティニアヌスは、反乱の武力鎮圧に成功した。テオドラは独裁的で気まぐれな面もあるが、貧困者のための病院や売春婦のための住居を作ったりした。3万人の反乱市民を虐殺しながらも、高校講座世界史「ビザンツ帝国」では高く評価をしていた。
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