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「天国の本屋」(2004)竹内結子、玉山鉄二。▽「ターミネーター3」(2003)アーノルド・シュワルツェネガー、クリスタナ・ローゲン。▽「デンジャラス・ラン」(2012)デンゼル・ワシントン、ライアン・レイノルズ。▽「永遠の0」(2013)岡田准一、井上真央、染谷将大。▽「オーメン(2006)」リーヴ・シュレイバー、ジュリア・スタイルズ、ミア・ファロー。▽「呪怨 終わりの始まり」(2014)佐々木希、黒島結菜、トリンドル玲奈。▽「大脱出」(2013)シルヴェスター・スタローン、アーノルド・シュワルツェネガー。「ほとりの朔子」(2013)二階堂ふみ、鶴田由真、太賀。▽「スリーピー・ホロウ」(1999)ジョニー・デップ、クリスティーナ・リッチ。▽「父と暮せば」(2004)宮沢りえ、原田芳雄、浅野忠信。▽「ラストスタンド」(2013)ア-ノルド・シュワルツェネガー。
アーノルド・シュワルツェネガーの愛称「シュワちゃん」は映画評論家・淀川長治が命名したもの。ただし1998年11月に亡くなられた淀川はこれらの映画は見ていない。
鄧石如(1743-1805,とうせきじょ)清の書家。篆・隷・楷・行・草の各体の書を書き、特に篆隷にすぐれ、筆法は渾朴で力強いものであった。鄧石如は父の一枝に篆刻を習い、梅鏐のもとで金石碑版を閲覧して研鑽した。一生を在野で過ごす。(参考:「張子東銘」書跡名品叢刊152 二玄社 1970)
1815年のワーテルローの戦いは世界史上で有数の大会戦の1つである。ナポレオンに対抗した連合軍司令官ウェリントンの名前はよく知られているが、プラス・ワンとして、プロイセンのブリュッヘル元帥(またはブリュッヒャー)の名も記憶に留めたい。ワーテルローの戦いの主役は3人である(画像左の白髪、鬚の人物がブリュッヘル)。ナポレオンとウェリントンは46歳、ブリュッヘルは72歳だった。
ナポレオン軍とウェリントン軍がワーテルローで対峙していたとき、豪雨と悪路で戦闘は長引く。そして夕刻、プロイセンのブリュッヘルの配下のビューロー中将の第四軍団3万の軍勢が来援したためフランス軍は大敗を喫した。ただしワーテルローの戦いではブリュッヘルは負傷により参加していない。
Weimarer Verfassung ワイマール憲法、ワイマール・フェアファッスング
1919年にドイツ共和国で制定された「ワイマール憲法」は共和制と主権在民、男女平等の普通選挙、議員内閣制など当時世界でもっとも民主主義的な憲法であった。そのワイマール憲法の下でドイツ国民はなぜヒトラーの暴走を許してしまったのか。ナチス政権は危機に際しての全権委任法を成立させ絶対的権力を掌握した。昨今、仮想の有事を想定しての集団的自衛権を容認する日本は歴史の過ちを再び繰り返そうとしていることに気づかない、あるいは気づかないふりをして戦前回帰を望んでいるのか、まったくおろかな国民である。
Wittenberg Concord ヴィッテンベルク協定
ヴィッテンべルクはドイツのハレ近くの小さな町で、ルターの町として知られ現在は「ルターシュタット・ヴィッテンべルク」と呼ばれている。1536年、ルター派と南ドイツのツヴィングリ派牧師団との交渉をまとめた協定。
Waterloo ワーテルロー
1815年ナポレオンと対仏同盟軍の戦。ナポレオンのエルバ島脱出とその再起に驚いたイギリス、プロイセン、オーストリア、ロシア4国は、ウィーン会議におけるその対立をただちに解消。同盟軍をフランスへ向けた。ナポレオンは各個撃破を企て、ベルギーに進出(兵数13万)、6月16日リニーにブリュッヒャー軍(12万)を撃退、18日ワーテルローにウェリントン軍(9万5千)を攻めたが、ブリュッヒャー軍の奇襲のため形勢逆転して敗れたる
ぜんじろうのやったるでぇ~。
復讐のために耐え忍ぶこと、また、成功するために苦労に耐えるという意味を持つ中国の故事成語「臥薪嘗胆」。英語でいうと、
Lying on firewood and tasting gall.
あるいは、endurance of hardships
栄枯盛衰 Every life has its vicissitudes.
馬耳東風 He turns a deaf ear to whatever he's told.
明鏡止水 My mind is as serene as a polished mirror.
一石二鳥 Killing two birds with one stone.
花鳥風月 the beauties of nature
理路整然 coherent
羊頭狗肉 Cry up wine and sell vinegar.(ワインといって酢を売る)
十人十色 Every man has his humor.
(四字熟語)
ロシアの女性革命家ヴェーラ・ザスーリチ(18849-1919)はスモレンスク県の小地主の家に生まれ、モスクワで高等女学校を卒業後、教員免許を取るためにペテルブルクへ赴いた。ナロードニキの運動に参加して、ネチャーエフ事件で逮捕され、投獄・流刑となった。その後キエフにおけるナロードニキの蜂起に参加したのち首都に潜行し、ペテルブルク警視総監を単独で狙撃して逮捕されたが、陪審裁判で無罪となってスイスに亡命した。ブレハーノフらと「黒土分割派」に属したが、スイスに再亡命してからナロードニキと手をきり、ロシア最初のマルクス主義グループ「労働解放団」の創設に加わった(1883)。マルクス、エンゲルスと文通し、彼らとの往復書簡はマルクス主義の重要な文献となっている。レーニンとも親交があって、イスクラ(火花)紙などの編集にもあたったが、ロシア社会民主労働党の分裂後はメンシェヴィキに属してレーニンに反対した。第一次大戦で排外主義者となり、二月革命後はブレハーノフらと反革命派の統一派に所属した。
夏ドラマ「表参道高校合唱部」思っていたより面白かった。香川真琴が香川から東京の表参道高校へ転校した。しかし憧れの先生は別人のように無気力になっており、合唱部は廃部寸前。ワケありの教師、表向き優等生のいじめ、スクール・カースト制度。ありがちな学園ドラマながら、ヒロイン芳根京子が新鮮な演技力を魅せる。1000人のオーディションから選ばれたが、ほぼ無名の女優の抜擢は朝ドラを除けば異例という。広瀬すず「学校のカイダン」のプラチナ集団と話はかぶるが、毎回合唱曲が紹介されるので音楽好きの人にも関心が寄せられるのでは。いま能年玲奈の出現以来、次世代スターが次々現れているみたいだ。ドラマの冒頭シーン。主人公の真琴がフェリーに乗って小豆島を旅立つ際に大部高校合唱部のみんながお別れに「涙そうそう」を歌う。大勢の中に可愛い娘がいるので名前を調べたがわからない。実は女優ではなくて、千葉県立幕張総合高校合唱団の皆さん。全国一位の有名校である。(追記: 第3話で真琴が電話する相手、謎の美少女が登場、女優だった)
深夜映画の「新雪国」(2001)。つまらなくて半分寝ていたら、ラストで芸者の笛木優子が着物の裾をまくって尻を出すシーンで目が覚めた。
公園で遊んでいる小学5年生の女児に「木登りが上手にできた」と言って抱きしめ、キスをした71歳の老人が逮捕された。容疑は強制わいせつ罪。老人は数年前から公園で指導と称して、木登りをして遊ぶ女児の尻を触ったりしていたという。
森繁久彌が亡くなったとき、週刊誌に「パパのお尻タッチは芸能界の縁起札でした」という見出しがあった。数年前に亡くなった横山ノックが強制わいせつで有罪が確定したときの晩年と雲泥の差である。粋と野暮との違いがなかなか難しいものだ。
「かにかくに祇園は恋し寝るときも枕の下を水の流るる」の歌で知られる吉井勇(1886-1960)。酒と恋愛に耽溺した吉井勇がうらやましい。普通の人は吉井勇や森繁の域に達するのは無理であろう。せめてノックや猥褻老人にならぬよう道徳的に生きるのが一番賢明だろう。
「abracadabra(アブラカダブラ)」呪文▽「アウタルキー」経済的自給自足。国民経済の自立を目指して、原料の自給化、外国依存の廃止をはかる政策。Autarkieという用語は1930年代のドイツで使われたが、もとはギリシャ語の「自給」の意。▽「anachronism」古代ローマの物語で飛行機が出てくるような年代的に出鱈目なこと。▽「akinbo」腰に両手を当て肘を張るポーズ。女性がこの構えをするとしばしば挑戦的な気持ちを表わす。
aardvark ツチブタ
Abendmahl (独)聖餐式
Aberglaube (独)迷信
aborigine アボリジニ
abstinece 禁欲
acknowledgement 是認
administration 管理
adultery 姦淫
aliquantum cura 大きな関心(ラテン語)
anachronism アナクロニズム。時代錯誤
Ancien Regime (仏)アンシャン・レジーム
Andromaque ラシーヌの戯曲「アンドロマク」1667年
Arcimboldo アルチンボルド。16世紀イタリアの画家
arithmetic 算数
Atala シャトーブリアンの小説「アタラ」1801年
autarky 経済的自給自足
Avignonese Captivity アヴィニョン幽囚
ジョセフ・スミス(1805-1844)は1830年、モルモン教をニューヨークで布教したが、迫害をさけてオハイオ、ミズーリ、イリノイ州などへ移住した。しかし1844年、スミスは、兄とともにイリノイで殺害された。その後、ブリガム・ヤング(1801-1877)が実質上の指導者となり、モルモン教徒は、1847年ついに安住の地ユタに入った。そして7月24日グレート・ソルト湖の南東約25kmの地点に定住し、町を築いた。ヤングは当時メキシコ領であったグレート・ソルト・レーク地帯の広大な荒野や砂漠を集団による灌漑で開拓し、各地方、各国に伝道師を派遣して入信と移住を説いた。1850年にユタ準州が成立すると、ヤングはその初代の総督になったが、宗教上の理由から1858年合衆国政府によって総督を辞めさせられた。時代はゴールド・ラッシュでカリフォルニアへ向かう人たちを信者として引きとめ農耕と町づくりに専念させた。ソルト・レーク・シティは交通の要衝という地の利をえて、モルモン教の総本山として発展した。
17世紀のオランダの神学者J・アルメニウスの影響で17世紀半ばイギリスのケンブリッジ大学から生れた宗教思想または態度で、「ケンブリッジ・プラトン学派」はその典型的な代表である。彼らは全体的にキリスト教の合理性を説き、したがって宗教的熱狂や神秘主義的敬虔を軽蔑するとともに、他方教会の伝統的信条や教会組織などを軽視した。「ラティトゥード」とは「幅の広さ」「(思想・行動などの)自由度」の意味。latitude
Lacrrimosa (伊) ラクリモーサ、「涙ぐんだ」「悲痛な」の意味。死者のためのミサ曲。
Latitudinarismus ラティトゥーディナリアニズム
Lex talionism 同害復讐法
Litugische Bewegung リタージカル・ムーブメント 典礼運動
Lund ルンド
Fabian Society フェビアン協会。1884年創設されたイギリスの社会主義者団体
faith 信頼、信仰
fascism ファシズム
fatalism 運命論
Fertile Crescent ファータイル・クレッセント 肥沃な三日月地帯
fides implicita 黙従的信仰
Frankreich (独) フランス、フランクライト
Evangelion エヴァンゲリオン。福音
Euthanasia 安楽死 ユータナジー
Erbsunde 原罪
Exodus 出エジプト
Exorcism 悪魔払い
Caecilianismus(セシリア運動)とは19世紀南ドイツに起こったカトリック教会音楽の改革運動。
Caesaropapism 皇帝教皇主義
Calvary ゴルゴタ
Canossa カノッサ
Capital punishment 死刑
Catacomb カタコンベ
Circumcision 割礼
Croisades 十字軍(フランス語)
久しぶりに見た胸がキュンキュンするラブストリー「恋仲」第1話。福士蒼汰と本田翼のぎこちない仕草やぶっきらぼうな台詞、不自然な笑顔、すべてが若ければ許される、そんな青春ドラマ。制服デートや花火に行きたい。「ずっと続くと信じていた季節の終わりはあまりに突然だった・・・」どこかで聞いたようなセリフ?オリジナル原作だがあの韓国ドラマの名作「冬のソナタ」と設定がとても似ている。三浦葵・芹沢あかり・蒼井翔太という高校時代からの友人3人で繰り広げられる三角関係は、チュンサン・ユジン・サンヒョクと同じ。
舞台は春川ではなく富山県の新湊(射水市)らしい。季節は冬ではなく夏。心を閉ざした謎の転校生蒼井。冒頭の高校時代から7年後の再会。自転車に2人乗り。西日に当りながら音楽を2人で聞く。初雪デートではなく花火。ファーストキスはフレンチキス。あれは完全に冬ソナを意識した演出だ。貸して戻らないコミック「ワンピース51巻」はミトンの手袋かジグソー・パズルか。あかりの家庭事情で突然消えたこと(冬ソナでは交通事故)。住みたい家。建築家になる。冬ソナではユジンがポラリスで働くが、恋仲ではアオイが設計技師。そしておきまりの三角関係。脇役比定すると、野村周平=パク・ヨンハ、市川由衣=パク・ソルミ?、吉田羊=チョンア姉さん(タロット占いする職場の同僚)。これから出生の秘密や記憶喪失、交通事故という展開があるのだろうか。話は変わるが御本家「冬のソナタ」の続編の制作が決定した。監督はユン・ソクホ。ただし主演は未定でヨン様はサプライズ的なゲスト出演にとどまるとみられている。
蛇足。妹役の大原櫻子ちゃんのメイクが可哀相すぎる。2話(7年後)からキレイに変身しているのか。あと大賀くんが自殺騒動で熱演。ヨングクにはチンスクがいるように恋人をつけてあげたい。
Magdeburg Halbkugeln マグデブルクの半球
Magna Charta マグナ・カルタ
Magna Graecia マグナ・グラエキア
Majoritatsprinzip (独)多数決原理、マヨリテート・プリンツィープ
Mamertine Prison マメルティヌスの牢獄
国や自治体などの境界は山・湖沼・河川・海峡などの自然要因でわけられている場合が多い。日本には河川を挟んで隣接する都道府県は6カ所みられる。
筑後川 福岡県/大分県
熊野川 三重県/和歌山県
木曽川 愛知県/岐阜県
多摩川 東京都/神奈川県
江戸川 東京都/千葉県
利根川 千葉県/茨城県
画像は江戸川区と市川市(千葉県)との境界付近。世界では河川が国境となっている所は10数ヵ所みられる。アムール川の支流ウスリー川は中露国境となっている。1969年ウスリー川の中州である珍宝島(ロシア名はダマンスキー島)は帰属がはっきり決まっていなかったため、両国間で武力衝突が発生した。
ウスリー川 中国/ロシア
鴨緑江 中国/北朝鮮
リオ・グランデ川 メキシコ/アメリカ合衆国
フライ川 インドネシア/パプアニューギニア
ラプラタ川 アルゼンチン/ウルグアイ
ヨルダン川 ヨルダン/パレスチナ
ユーフラテス川 イラン/イラク
アムダリヤ川 アフガニスタン/タジキスタン
アムダリヤ川 アフガニスタン/ウズベキスタン
セントローレンス川 カナダ/アメリカ合衆国
「月世界旅行」(1902)から「私の男」(2014)まで、名作からホラー&サスペンスまで何でも観るぞ!二階堂ふみの出演作品を立て続けに見る。宮崎あおいとは一味違った個性だ。「私の男」では河井青葉という女優も初めて知った。「クロユリ団地」(2013)前田敦子、成宮寛貴▽「成功の甘き香り」(1957)トニー・カーチス▽「砂の惑星」(1984)カイル・マクラクラン▽「ザ・リング」(2002)ナオミ・ワッツ。▽「夫婦百景」(1958)月丘夢路、大坂志郎。▽「祭りの準備」(1975)江藤潤、竹下景子。▽パンデミック映画「感染列島」2009年1月に公開されたが興行収入は期待外れ。現実に4月に新型インフルが発生、タイミングが悪かった。▽「そのときは彼によろしく」(2007)長澤まさみ、山田孝之、塚本高史。▽「新選組始末記」(1963)市川雷蔵が山崎烝を演じる。▽「アベンジャーズ」(2012)ロバート・ダウニーJr.スカーレット・ヨハンソン、サミュエル・L・ジャクソン▽向田邦子新春スペシャル・ドラマ「響子」(1996)田中裕子、小林薫。▽「転校生」(1982)尾美としのり、小林聡美、柿崎澄子。▽「マザー」(2014)片岡愛之助、舞羽美海。▽「挽歌」(1976)秋吉久美子、仲代達也。▽「装いの街」(1979)薬師丸ひろ子、三田佳子。▽「ザ・コール 緊急通報指令室」(2013)ハル・ベリー。▽「トイ・ストーリー3」(2010)▽「バーティカル・リミット」(2000)クリス・オドネル、イザベラ・スコルプ▽「春を背負って」(2014)松山ケンイチ、蒼井優。▽「天のしずく 辰巳芳子「いのちのスープ」。▽「ふがいない僕は空を見た」(2012)田畑智子、永山絢斗。▽「ロング・キス・グッドナイト」(1996)ジーナ・デービス、サミュエル・L・ジャクソン。▽「そうかもしれない」(2005) 雪村いづみ、桂春團治。▽「エイリアン2」(1986)シガニ―・ウィーバー、キャリー・ヘン。▽「指輪をはめたい」(2011)山田孝之。二階堂ふみ。▽「私の男」(2014)浅野忠信、二階堂ふみ、河井青葉。▽「黒い雨」(1989)田中好子、北村和夫、市原悦子。
子どもの頃、ラジオから流れる音楽でとくに記憶にあるのは「ウシュカ・ダラ」という曲である。(ウスクダラ、ウシュク・ダラとも表記される)もともとトルコ民謡「ユシュクダラ Uskudar」といい、イーディ・ゴーメがトルコ語と英語で歌ったが、黒人歌手アーサー・キットのほうが断然人気を集めた。日本では江利チエミのレコードも昭和29年にヒットしたが、当時13歳の少女歌手・沢村みつ子(1941-2008)も人気があった。
2008年3月13日の夕刊に、「澤村美司子、3月11日、急性心不全のため、東京都世田谷区の自宅で死去。66歳」という小さな記事があった。澤村美司子(さわむらみつこ)は、沢村みつ子のことであろう。最近まで歌手活動をしていたそうだが、全盛期は昭和30年ころで、「マンボ・イタリアーノ」「ケ・セラ・セラ」「パパはマンボがお好き」などの日本語カヴァー曲がある。和製ポップスの草分けといえるが、とりわけ「ウシュカ・ダラ」はとても流行った懐かしい曲だ。
「バーント・オファリング」とは、雄牛・羊・山羊などの生贄の供物を祭壇で焼き、神に捧げる。燔祭(はんさい)▽「ドイッチャー・バオエルン・クリーク」Deutscher Bauernkrieg(ドイツ農民戦争)
baptism 洗礼
Barmherzigkeit 憐み
Bauernkrieg 農民戦争
Beata 福音
Begegnung 出会い
Begrabnis 葬儀、埋葬
Btkehrung 回心
Bereavmen 悲嘆
Bestattang 葬儀
Betrothal 婚約
Bargerrecht 市民権
Burnt offering 燔祭
Busse 懺悔する人、ビューサァ
Bundesrepublic Deutschland ブンデスレプブリック・ドイチェランド ドイツ連邦共和国
きょうは「海の日」。日本は島国で四方を海で囲まれている。そして日本と韓国との間では、「日本海」と「東海(トンへ)」の名称をめぐり、しばしば論争が起こる。この日本海呼称問題も遠い将来なくなるといわれる。テキサス大学スコッテス教授は5000万年後の地球の姿を描いている。地球は年に約10㎝ずつ移動している。(C.R.Scotese)
2億5000万年前のパンゲア大陸。南アメリカ、アフリカ、インドのゴンドワナ大陸は分裂。インドは北上しアジアに衝突、ヒマラヤ山脈を形成。オーストラリア大陸が離れてゆき、南極大陸は独立していく。
映画・小説・漫画・楽曲など内容そのものは全く別物であるが、同名タイトルの作品がある。意図的なものもあるし、偶然に重複した場合もある。タイトルに著作権があるかどうか法律的な問題は知らないが、もしかりにタイトルに占守権(プライオリティー)を認めてしまうと、将来、日本語そのものが使えなくなってしまうであろう。1994年、テレビドラマ「人間失格」で遺族からのクレームで「人間・失格」に改題した一件は有名であるが、過剰反応と捉えるべきであろう。
1946年 「白痴」坂口安吾の小説(ドストエフスキー)
1966年 「美しい村」立原正秋(堀辰雄)
1971年 「終着駅」奥村チヨのヒット曲(イタリア映画と同名)
1974年 「甘い生活」野口五郎のヒット曲(イタリア映画と同名)
1978年 「いつか見た青い空」中沢啓治(1965年の米国映画) 1995年の向田邦子脚本の同名ドラマあり
1983年 「細雪」五木ひろし(谷崎潤一郎の同名小説)
1987年 「ノルウェーの森」村上春樹(1965年のビートルズの楽曲)
1997年 「失楽園」渡辺淳一(ミルトン1667年)
2008年 韓国ドラマ「エデンの東」(1955年の米国映画)
2010年 「素直になれなくて」上野樹里主演ドラマ(1982年のシカゴの同名楽曲)
2013年 「守ってあげたい」ゆず&JUJU(1981年の松任谷由美の同名楽曲)
国際派女優モニカ・ベルッチは、その美貌から「イタリアの宝石」と称えられる。ハリウッド進出に成功したペネロペ・クルズもスペインを代表する女優だろう。結婚後、本格始動はないもののイ・ヨンエはまちがいなく韓国を代表する美人女優だろう。日本も原節子や山本富士子、吉永小百合と時代により、正統派美人女優はいたが、平成になって容貌だけの美しさよりも、スタイルが美人の条件に加わり、美の基準は混沌としている。メイク、整形、コスプレなどナチュラルより人工美が主流になりつつある現在、いかに知性と気品を保てるかが課題となる。明治から平成までの女性美の移り変わりを画像で見ると、和服から洋服への変化が大きな影響を与えている。洋服になれば、メイク、髪型、しぐさ、などすべてが変わる。大正9年にバスガールが登場し、大正13年に女学生の制服が洋服になったことが、無関係ではない。平成美人はどのように変化していくのだろうか。
明治、大正
平成
可視的対象を、神的な力や固有の神格の具像として崇拝するは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教においては、本来的には拒否されている。偶像破壊は、このような偶像崇拝を非難、攻撃するときにみられる。
聖像破壊主義者(iconoclast)は特に8、9世紀にギリシャ正教会内での聖像使用運動の支持者をいう。画像崇敬に反対する傾向はすでに古くユダヤ教の伝統に根ざすものであり、初期キリスト教教父の間にも、古代的な偶像崇拝とまぎらわしい画像表現を忌避しようとする論争が盛んであった。東ローマ皇帝レオ3世とコンスタンティヌス5世の主唱の下に教会会議が開かれ、いわゆる画像破壊運動が開始された。この運動に対する強力な反対者は当時大きな権力をもつにいたった修道士たちであったが聖ソフィア聖堂で行われた教会会議はこれに再び禁圧の断を下した(815年)。のち再度皇妃テオドらによって「正統派の復活」とよばれる画像崇敬再認可の儀式が行われ(843年)、ビザンティン美術は次の黄金時代を迎えることとなる。この運動の結果、修道士たちは多数イタリア南部に移動し、ローマ教皇はこれら画像破壊運動に加わった皇帝たちを異端と断じ、東西教会の分離はいっそう深められた。この間、多量のモザイク、フレスコなどの全時代の教会堂装飾その他の諸美術作品が破壊され、画像崇敬の規律にふれない装飾的テーマととりかえられて、たとえばコンスタンティノポリスのブラケルヌス教会では、コンスタンティヌス5世の命令により、キリスト伝の諸場面が樹木、鳥獣のモチーフに、教会会議の場面が競技場の風景に変えられた。新しい装飾の目的に適したテーマとして同じく偶像崇敬に反対であった回教美術のモチーフがしばしば借用された。画像崇敬禁止の法令をまもる写本挿絵もまた同じく新約場面を排し、もっぱら装飾的な動植物模様、頭文字装飾による表現をとり、多く模写された。しかしこの時代をもっともよく代表する作品は、画像破壊に正面から対抗していた修道士たちによって描かれた詩篇写本の挿絵であろう。たとえばコンスタンティノポリスのストゥデイオス修道院で作られたクルドフ詩篇の挿絵には、マタイ伝、キリスト受難の劇的な表現のほかに、画像破壊者たちへの、喜劇的精神に富む痛烈な諷刺の諸場面が描かれており、この時代の風潮を明瞭に物語っている。(Iconoclasm)
全国各地で安保法案反対の抗議集会が開かれている。安倍首相は「丁寧な説明で国民の理解は進んだ。三連休を挟めば国民は忘れる」と強弁。谷垣幹事長は「60年安保に比べると比較的に平穏ではないか」。麻生副総理は「安保法案に対する抗議の電話は数十件しか来ていない」と保守派の余裕か楽観ムード。内閣支持率は35%と急落するも高村副総裁は「支持率下げても国民のために必要だと思うことは進めて来たのが自民党の歴史だ」と説明。メディアはさまざに煽るが、日本人のほとんどは法案の中身すら分かっていないし、無関心なのではないだろうか。このブログは政治性ゼロの能天気な話題が中心なのでこれ以上深入りはしないが、この法案、賛成か反対か、国民の一人として真剣に考えてみたい。
なでしこW杯決勝戦。力の差は歴然としており、負けるのは致し方ない。人名索引マニアとしては、米国選手「アビー・ワンバック」の名前が気になる。名前を50音順の配列すると(日本語表記、長音は無視する)かなり最後の方に配列される。
いちばん最後は、現在確認できるところ、中国の金朝初代皇帝の完顔阿骨打(ワンヤンアクダ)である。ほかにタイの政治家ワン・ワイタヤコン(クロム・ナラティプ・ボンプラバン)や椀屋久右衛門がいる。
ちなみに「ア」の最初は、元フォードの経営者アイアコッカ(1924年生れ)、イギリス清教徒革命の軍人アイアトン(1611-1651)である。
ABCの配列の場合、Aaron(アロン)から始まり、Zwingli(ツヴィングリ)で終わる。
日本には古くから伝えられた迷信は数多くある。「夜、口笛を吹くと蛇が出る」「夜に爪を切ってはいけない」「食べた後に横になると牛になる」「ピーナッツを食べると鼻血がでる」。お隣の韓国では、妊娠中や出産にワカメスープを食べる。そして「誕生日の朝にもワカメスープ」というのが定番である。また「扇風機をつけたまま寝ると死ぬ」というのもある。
欧米ではやはりキリスト受難の日、金曜日や数字の「13」を嫌う。結婚や重要な取り引きなどは避けられる。「黒猫が前を横切ると不幸になる」。「6月の花嫁は幸せになる」というジューン・ブライドはよく知られている。5月の結婚・出産は嫌われる。フランスで面白いのは「犬の糞を左足で踏むと良いことがある」。
「X」は数学で未知数を示す記号として用いられることから「未知の物事」を意味する。「X」から始まる単語を調べる。
「X-file」アメリカ連邦捜査局にはXファイルと呼ばれる秘密書類が置かれている。UFOや超能力など科学では説明のつかない未解決の怪事件のこと。
Xnadu 桃源郷、ザナドゥー。ザ・ジャガーズの「キサナドゥーの伝説」
Xanthippe 口やかましい女、悪妻。クサンティッベ(ソクラテスの妻)に由来する
Xavier ザビエル スペインの宣教師
X-Beine (独)X脚、イックス・バイネ
xebec 地中海沿岸の小型3本マストの帆船(画像) 、シーベック
xenization 放浪
xenophilia 異国趣味
xerography ゼログラフィ、複写。ギリシャ語の語幹 xeros(乾燥)と graphas(書く)を組み合わせたもの
Xerox ゼロックス。商標名
xerophyte 耐乾性植物
x-factor 未知の要因
Xmas クリスマス
xylography 木版術
xylophone 木琴、シロホン
xylorimba シロリンバ、ザイロリンバ
xxxx フォーエックス。オーストラリア、クイーンズランド州のビールの銘柄
蒸し暑い夏の夜といえば「四谷怪談」。とくに蚊帳が重要な小道具になっている。蚊帳の歴史は古く、古代エジプトのクレオパトラも愛用していたという。日本には奈良時代に唐から伝わり、貴族などで用いられていたが、一般に普及するのは江戸時代になってからである。伊右衛門が呑み代のため質草に蚊帳を持ち出そうとする。「この蚊帳だけは赤ん坊のためにもっていかないで~」とすがるお岩。すがりつくお岩の手から蚊帳をひったくったら、お岩の生爪が剥がれて蚊帳が血みどろになる。「四谷怪談」で有名な於岩の話は4世鶴屋南北の創作であるが、於岩は1630年に36歳で死去した実在の人物で、鮫河橋の妙行寺に葬られた。
7月からの新ドラマ。人気の福士蒼汰が月9で王道ラブストリーを演ずる「恋仲」が話題である。「月9」とは、1991年放送の「東京ラブストーリー」「101回目のプロポーズ」から続くフジテレビ月曜9時枠の連続ドラマ。「恋仲」のヒロインは本田翼に決定。大原櫻子、市川由依、山本美月、大友花恋と旬の女優が多数出演。
7月からの新ドラマはほかに、「ど根性カエル 実写版」(土9)松山ケンイチ、前田敦子、薬師丸ひろ子。「リスクの神様」(水10)堤真一、戸田恵梨香、「花咲き舞が黙っていない」(水10)杏、上川隆也。「ホテルコンシェルジュ」(火10)西内まりや、三浦翔平。「癒し屋キリコの約束」(連13:25)遼河はるひ。「エイジハラスメント」(木9)武井咲。「ある日、アヒルバス」(日10)藤原紀香、トリンドル玲奈、片岡愛之助。「デス・ノート」(日10:30)窪田正孝、山崎賢人、優希美青。「妄想彼女」(土11:40)広瀬アリス。乃木坂46「初森ベマーズ」テレビ大阪は月曜11:58。「表参道高校合唱部」(金22:00)芳根京子。
その昔、貧しい青年の福満は、武蔵国多摩郡の豪族・郷長右近の娘と恋に落ちた。しかし、これに反対した右近夫妻は、娘を湖の島へと福満から遠ざけてしまった。困った福満は、水神「深沙大王」に祈願したところ、霊亀が現われ、福満を娘のいる島へ連れて行った。この奇瑞を知って、右近夫妻も2人の仲を許すことになった。その後、2人の間に生れたのが満功(まんくう)上人である。天平5年(733年)満功上人は深大寺(調布市)を創建した。
岐阜市では7月に市立図書館がリニューアルオープンした。そのオープニング企画が「本deドミノ」。市民から集めた1万冊の古本でドミノ倒しに挑戦した。これを聞いた一部のクレーマーから「本を粗末にするな」「嫌な気分になった。本には敬意を払うもの」など批判も起こりネットで物議を醸した。しかし、日本人はクレーマーすぎ。「本のドミノ倒し」は2013年にシアトル公共図書館で2131冊の世界記録を達成するや、ベルギー、イギリスでも開催され、いまや世界中のブームである。結果は世界記録のイギリスの5318冊を超える9862冊が倒れ、見事に世界記録を達成した。何事をするにも賛否両論ある。おそらく、サルのシャーロットに批判したような人たちが、次のターゲットとして「本のドミノ倒し」に当て、クレームしたのだろう。ネットのクレーマーは懲りない人たちである。
鶴屋南北の名作「東海道四谷怪談」の下書きとなったのは、四谷左門町の田宮又衛門の娘お岩が、摂州浪人、伊左衛門を婿にとった。2人には子がなく、伊左衛門は浮気をして、妾のおことに子ができて、お岩は家を追い出された。お岩は逆上して、四谷の堀に身投げしたといわれている。その後、田宮家には怪しいことが続き、おことは殺され、伊左衛門も狂死し、家は断絶したというのである。この実話を参考にして鶴屋南北は「東海道四谷怪談」を書きあげた。だがタイトルにわざわざ東海道と付けたのは何故か?四谷は甲州街道にあり、東海道沿いにはない。この謎をはっきりと説明する定説はない。当時のベストセラー「東海道中膝栗毛」にあやかって「東海道」と付けたほうがヒットすると考えたのか。あるいは当時、東海道は「あずまかいどう」とも読んだ。京都から見て江戸は「あづま」にある。東海道でも甲州街道でもいいが、甲州街道の四谷も「あづまかいどう(東海道)に入ると考えた。最後の説が最有力なのだが、実際にはない東海道の四谷とすることで、この怪談を作り話と最初から断っているためではないだろうか。
1858年のこの日、安藤広重は62歳で没した。広重の東海道五十三次と東海道名所図会を見比べると、多くの共通点がある。全55点のうち、19枚が東海道名所図会をアレンジしているし、十辺舎一九の続東海道中膝栗毛などからの挿図を含め、半数近くは種本が見つかった。これにより広重は写生をもとにしたのではなく、種本でアレンジすることが知られるようになった。東京赤坂のサントリー美術館で「広重・東海道五拾三次」展が開催中である。(1月15日まで)。本展では那珂川馬頭広重美術館所蔵の保永堂版と、サントリー美術館所蔵の隷書版を一挙に公開している。
日坂宿とは金谷と掛川との間の山あいの小さな宿場。明治になって東海道本線が南に通り、元の宿場はさびれ一農村となったが、江戸の面影を遺している。
広重「佐夜ノ中山」は大胆な構図で右端に急坂を描き、山の険しさを強調する。坂下にころがる大きな石は夜泣石。昔、みごもった妻が金谷に住む夫を訪ねて山越しの途中、賊に斬り殺される。胎内の子は観音の化身によってとり出され助かるが、女の恨みは傍らの石にのりうっつて、夜毎に石が夜泣きしたという有名な伝説をもとにしている。(9月6日)
「死ぬまで働け、そして死ぬまで貧しく禁欲的であれ」というカルヴァンの教え。禁欲的プロテスタンティズムが近代世界の形成に果たした役割は大きいとマックス・ヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(1905年)で考究した。彼はInnnerweltliche Askese(世俗内的禁欲)とかAktive Askese(アクティブ・アスケーゼ 行動的禁欲)という概念でとらえた。行動的禁欲の概念を現代風にわかりやすくいえば、「ある一つの目的を達成するために全身全霊を打ち込み、それ以外の欲求を全て絶つこと」となる。
日本で最も大きな湖である琵琶湖。しかし世界ランキングでいうと、淡水湖のみでは129番目、塩湖を含めると188番目である。世界でいちばん大きいカスピ海は琵琶湖 の553倍ある。
琵琶湖は毎年2センチ程度、北へ移動している。琵琶湖は約400万年前、現在の三重県上野盆地に琵琶湖の起源となる大山田湖が誕生した。そして古琵琶湖と呼ばれる湖は次第に北上し、現在の甲賀地方に広がった。約200万年前ごろ、近江盆地へ移動し、約150万年前には古い湖は消滅し、礫で埋まった。そして約40万年前、今の位置まで移動して新しい湖を形成した。それが現在の琵琶湖である。古琵琶湖の位置から算出すると、年平均はおよそ2.2cm北へ移動したことになる。1970年代に国土地理院が測定した琵琶湖の最深部と比べると30cmも深くなっている。凹状が変化しているが移動しているとはいえない。だが琵琶湖の北には活断層があるのでさらに移動し、将来は日本海に達して湾になることも考えられる。
昭和30年代半ば、日活はタフガイ石原裕次郎を筆頭に、マイトガイ小林旭、そして「第三の男」として赤木圭一郎(1939-1961)を売り出した。都会的な甘いマスクで憂いを感じさせた「トニー」はまたたくまに人気スターとなった。(愛称の由来は、西河克巳監督がトニー・カーティスに似ていると感じたことからきている) 赤木圭一郎は昭和36年2月21日、日活撮影所内でゴーカートの誤操作により事故死した。21歳の若さだった。
赤木圭一郎の代表作のひとつ「霧笛が俺を呼んでいる」(山崎徳次郎監督、昭和35年)。すずらん丸のエンジンが故障して港に着いた航海士・杉敬一(赤木圭一郎)は旧友の浜崎(葉山良二)を訪ねる。が、杉は浜崎が2週間前に突堤で溺死体で発見されたことを知る。杉は浜崎の恋人美也子(芦川いづみ)とバンドホテルで会う。杉は森本刑事(西村晃)から浜崎が麻薬の売人だったと知らされる。実は浜崎は生きていた。浜崎は麻薬を持ち出し逃亡しようとする。それを知った渡辺(二本柳寛)一味は浜崎を殺そうとする。赤木は浜崎に自首をすすめる。しかし浜崎はビルの非常階段から転落死する。
ストーリーは、もちろんキャロル・リードの名作「第三の男」そのままであるのはご愛嬌。アメリカ人の作家ホリーが赤木で、ハリー・ライムが葉山で、アンナが芦川であろう。石原裕次郎の「夜霧よ今夜も有難う」がハンフリー・ボガートの「カサブランカ」の翻案であるのと同様、映画ファンのお楽しみでもあるのだ。
原作の「第三の男」に無い登場人物は難病の美少女。まだ少女の面影を残す吉永小百合が葉山良二の妹役で登場しているが、添え物的であり、ヒロインはやはり芦川いづみである。スカーフをした芦川の憂いに満ちた表情は美しい。霧の流れる波止場でのラストシーン。芦川が「これから私は北海道へ行きます。あなたはどこへいらっしゃるの」と聞くと、「そうさなぁ。なんだか霧笛が俺を呼んでいるような気がするぜ。霧笛にでも聞いてくれよ」という気障なセリフも、赤木圭一郎だからサマになる。赤木ほど「マドロス」が似合うスターはいない。実際に赤木は海への憧れやみがたく、当時の東京商船大学を受験している。失敗して成城大学に入学し、日活第4期ニューフェースとして入社。この映画が撮影された頃の東京は安保闘争で混乱していた。
昭和35年6月15日、赤木(当時大学在学中だった)はスポーツカーを運転して日活撮影所に向かう途中、安保反対のデモ隊に遭遇した。赤木は撮影所のテレビでデモの様子を熱心に見つめていたと、共演者の西村晃は語る。そして赤木は西村に頼んで、9日後の樺美智子の追討デモに参加している。「こんな時に、ピストルごっこなんかやっていていいのかな?」と赤木は同じ大学生として感想を周囲にもらしたという。翌年、赤木圭一郎はゴーカートによる激突事故で21歳の短い生涯を閉じる。
共演者の吉永小百合は後年、次のように語っている。「撮影所だけが私の世界だったのです。そこで好意を持ったり、初恋とも呼べる感情を抱かなかったと言えば、うそになります。でも、そこに踏み込んでいくほど積極的に恋愛を考えませんでしたし、忙しさの中で私はみたされていたのかも知れません」(「現代」1996.3)この15歳のスターレット吉永小百合の初恋の相手とは誰であろう。おそらくは、憧れのスター、赤木圭一郎ではないだろうか。
董仲舒(前176-前104)は広川県(河北棗強東)の人で、公羊学を修めて景帝のとき博士に用いられて、武帝に重用され、彼の意見によって五経博士を置き、儒教によって思想界を統一する方針が採用された。
董仲舒は帷を下ろして講義し誦読していたため、弟子たちは学業を古参の弟子から次々に伝え習うようになり、したしく師の顔を見たことのない者さえあった。
また一室にとじこもり、3年間、自宅の庭さえも出たことがなかったといわれるほど、学問に精励した。たえず書物のことが頭にいっぱいで、馬にのっていても牝牡いずれかも気がつかなかったといわれるほどの好学ぶりであった。(「漢書」列伝)
この逸話から「三年、園をうかがわず」という言葉は、世間の事から遠ざかって、学問に没頭することをいう。
この故事からもわかるように、董仲舒には、目をつぶって世の中の変化を見まいとする姿勢がみえる。「道の源は天より出ず。天は変わらず、人も変わらず」と。春秋繁露に説く「三綱五常」は、永遠不変の原理だという。「世は変わるもの」とする法家とは対立する。
古代から日本人の食事は朝夕の2回であった。平安時代の「枕草子」には「大工が食事時間じやないのに昼に食事をしている。それが何ともおかしい」と書き残している。
朝夕の二度食を原則とした食習慣は、室町時代にはいると三度食に移行していった。朝鮮通信使が記録した「日本往還日記」(慶長元年)には、「一日に三肫(とん)の飯を用ふ」とあって、朝昼夕の三度食が一般化したことを証明している。ただし従卒は、普段は2食で、労役のある時だけ3食だといい、従来の食習慣のなごりも残っていたらしい。三度食は禅寺院で、非事(食事の時でない時)に点心という軽食(羊羹など)をとる習慣があったことや、武士が陣中で、体力の消耗のために随時食事をとったことが、三度食の基礎となった。安土桃山の武将、加藤清正(1562-1611)は、「食は黒飯たるべし」といって、部下に奢侈を戒しめ、玄米食をすすめたが、このころから上層階級では白米食がひろがっていたことを物語っている。食事1日3回が一般化したのは江戸時代中期になってからである。
「あまちゃん」天野ナツこと宮本信子は北海道小樽市の出身。天野アキこと能年玲奈は海のない兵庫県神崎郡神河町の出身。▽川島海荷も海のない埼玉県▽平愛梨は海がみえる兵庫県明石市。両親は沖縄▽大阪府寝屋川市と言えば大関豪栄道▽吹石一恵はお父さんが近鉄の野球選手で奈良県▽長澤まさみはジュビロ磐田の静岡県▽北海道夕張市と言えば「双子のリリーズ~♪」▽三重県松阪市と言えば昔あべ静江、いま西野カナ▽川上麻衣子ストックホルム、忽那汐里シドニー。 NHK「おはよう日本」のお天気姉さん渡辺蘭はハワイ出身。▽フ~ミンこと細川ふみえは青森県むつ市。▽福田萌は岩手県滝沢市。▽松井愛莉は福島県いわき市。▽壇蜜は秋田県横手市。▽総選挙首位に輝いたHKT48指原莉乃は大分県大分市。▽劇的な勝利となったイングランド戦。相手のオウンゴールを誘った川澄奈穂美は神奈川県大和市の出身。
YuTubeで「自従愛著你」と検索すると、台湾の歌手がデュエットで「愛して愛して愛しちゃったのよ」(和田弘とマヒナスターズ)の曲を北京語で歌っている。これは1968年に当時15歳のテレサ・テンがカバーしてヒットしたからで、今でも多くの歌手によく歌われているらしい。
台湾で日本の曲がよくカバーされるようになったのは、1980年代になってからで西城秀樹が台湾で人気があったからであろう。現在も日本の曲は多く台湾でカバーされている。シンディー・ワン(王心凌)の「月光」はヴィレッジ・シンガーズ・島谷ひとみの「亜麻色の乙女」。
米米CLUB「君がいるたけで」→「只要你和我」
SMAP「世界に一つだけの花」→「Only one」
いきものがかり「YELL」→下一頁的我
荘子が釣りをしていると、楚王の使いがやってきた。「王は、先生に国政を任せるといって招いておられます。ぜひご出仕ください」すると、荘子は竿を握ったまま、ふり向きもしないでいった。「楚には、死んで三千年にもなる神亀がおり、王は廟堂で祀っておられると聞いたがまことかな?」「まことでございます」「この亀は死んで骨を留め、祀られるのを望んでいるのか、それとも生きて泥のなかをはい回っていたいだろうか?」「それは、もちろん、泥のなかで生きている方がよいでしょう」それを聞くと、荘子は言った。「お行きなされ。わたしも泥の中をはい回っていたいのでな」
世の名声のために身を滅ぼすよりも、たとえ泥のなかに尾をひきずっても生きていたいという荘子の思想は、隠遁というよりも、名声とか汚辱の中央官界に対する在野精神の原点とみるべきであろう。この故事から「曳尾塗中(えいびとちゅう)」「尾を塗中に曳く」とは「仕官せずのんびりと暮らすこと」を意味する。(出典:「荘子」秋水篇)
江戸時代に「小股の切れ上がった」という、スラリとした腰つきの女性を形容した言葉がある。いささか古風な言葉で最近では使われることは少ないが、「小股」という股がどこにあるのか疑問に思う人も多いだろう。「小股」の「小」は「小首をかしげる」のように「ちょっと」の意味で、語調をととのえ、可憐な感じをだす接頭語。
「マスコミに出る故事名言ことわざ総解説」(自由国民社)に拠るとこの語は、「腿と腿の間が、多く切れ上がっているのをいう」とある。一般的には、おなかもでておらず、足も長くスラリとした体つきの女性をさしたものである。ところが、近代になってスタイルだけではなく、立ち居振る舞いすべてに美しい女性を言うようになった。永井荷風は着物の着こなしが上手で、立ち居ふるまいもすこぶる軽快だが、かといってけっして色気を失っておらず、しなやかで、しかもいや味がないといっている。(ことばの疑問)
「カナダの有名な作家は?」とたずねると、10人中みんなが、「赤毛のアンの作家」と答える。ルーシー・モード・モンゴメリ(1874-1942)の作品は村岡花子、中村佐喜子、岸田衿子、猪熊葉子、松本侑子、掛川恭子などの翻訳で日本では今も広く読まれている。ウィキペディアの「カナダ」の項目では、他にマーガレット・アトウッド(1939年生まれ、代表作「侍女の物語」1985年)という女流詩人も記載されていた。しかし、カナダの作家はこれだけなのだろうか。日本でのカナダの文化や歴史の情報があまりに少ないのに驚く。
調べてみると、スティーブン・バトラー・リーコック(1869-1944)という作家がいる。生まれはイギリスのワイト島で、8歳の時にカナダに移住している。 つまりイギリス系のカナダのユーモア小説家。モントリオールのマギル大学の政経学部の教授を勤めながら、ユーモアと風刺あるエッセイ風の作品やミステリーを多数残している。マーク・トウェイン以来の最も人気のあるユーモア作家である。
リーコックの代表作に「町のひなた点猫」(「小さな町の陽気なスケッチ」)(1912)をはじめとして、「ナンセンス小説集」(1911)、「わがイギリス発見」(1923)がある。文芸批評家として健筆をふるい「マーク・トウェーン」(1932)、「チャールズ・ディケンズ」(1933)などの評伝がある。ほかに自伝「あとに残した少年」(1946)がある。他に「ミステリ狂、或いは迷探偵」「二百歳まで生きる法」「億万長者になる法」「善行魔」「逆行魔」「騎士道残酷物語」「Qある怪奇心霊実話」「名探偵危機一髪」「スパイ戦線異常あり」「バッガム屋敷の怪」「架空会見記」「ゴルフ虎の巻」「奇術師の復讐」「手相をみせて」「衣服病理学」「ABC物語」「欠陥探偵」「人生成功の秘訣」「専門化が進めば」「わが財政的履歴」「ミステリこの優雅な娯楽」等多数あるが現在入手は困難。
リーコックの人生訓は広く知られている。
幸運とは、自ら動かない限りは、決して訪れないものだ
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人生の進み具合というのは、なんと奇妙なものだろう。小さな子供は「もっと大きくなったら」と口にする。だが、どうしたことだ。大きくなったら子供は「大人になったら」と言うではないか。そしておとなになったら、「結婚したら」と言う。けれども、結婚したらいったいどうなるのか、考えがコロリと変わって、「退職したら」と来る。やがて、退職が現実のものとなると、自分の過ぎし日の光景を思い浮かべる。そこには木枯らしが吹きすさんでいるようだ。どういうわけか、すべてを取り逃がしてしまった。もはや過ぎ去ってしまったのだ。そして、遅ればせながらわれわれは学んぶ。人生とは、生きることの中、つまり毎日毎時間の連続の中にあるのだということを
( keyword;Stephen Butler Leacock,I'm a great believer in luck,and I find the harder I work,the more I have of it.)
AKBやSKE、乃木坂などアイドル・グループが全盛である。ファンならメンバー全員の顔と名前を覚えているのであろうが、一般人にはなかなか顔の特徴を区別して、名前を記憶することは至難の技である。人間が顔を認識する場合、4つの現象があるといわれている。
(1)知っている人の顔と知らない人の顔とでは、知っている人の顔の方が視覚的な変化による影響をほとんど受けることなく、再認率が高い。(既知性効果;Bruce,1982)
(2)異なる人種の顔より自分と同じ人種の顔の方が認識しやすく、記憶しやすい。(他人種効果;brigham,1986他)
(3)人ごみの中でも見つけやすい、目立つ顔(示差性の高い顔)は、そうでないものより再認率が高くなる(示差性効果;Light,Kaym・Stuart,& Hollander,1979他)
(4)顔の形態的な特徴に注目して、目の大きさや顔の形などについて判断をした場合(形態判断課題)と、親しみやすいか親しみにくいかといった、顔から受ける性格印象について判断をした場合(意味判断課題)とでは、後者の方が後の再認成績が良くなる、これは処理水準効果あるいは意味処理優位効果と呼ばれている(意味判断効果;Bower & Karlin、1974他)
参考:「顔の認知に関する一研究」 坂本充栄、伊藤公代 愛媛大学教育学部紀要51-1,2004年)
戦前、戦場に赴く兵士へ渡す「千人針」の腹巻。千人の女性に一針ずつ縫い目をつけてもらった布きれに5銭玉や10銭玉を縫いつける。5銭は4銭(死線)を越える、10銭玉は9銭(苦戦)をまぬかれる、というまじないからきている。虎の刺繍が多い。「虎は千里を行って千里を還る」の故事から武運長久の縁起かつぎである。また寅年の女性は、自分の年齢の数だけ縫うことができる特権が与えられていた。
▽財布や小銭入れをプレゼントするとき、五円玉を1枚入れておく。五円(ご縁)がありますように、の洒落。▽スポーツ選手が試合前の夕食にビフテキとトンカツを食べる。テキ(敵)にカツ(勝つ)の洒落。▽高校野球全国大会出場チームの朝食のおかずにメザシをつける。優勝をメザシ(目指し)ているから。▽選挙事務所には片目だけのダルマがある。当選したときにもう一つの目を入れる。党派の区別なくダルマなのが可笑しい。
中国の青銅器や日本の縄文土器をみると、たいてい文様が施している。なぜ器物に装飾をするのであろうか。人間は、文様の美しさを発見すると、文様の上に文様を重ねて、文様過多の状態に陥っていく。これは、ひとたび文様の美を知ると、文様の無い空虚さに不安や恐怖心を覚えるからだと考えられている。これを「空白の恐怖(horror vacui)」と呼んでいる。空白を嫌う古代人の心理は、器物に文様をつけるという、激しい表現意欲へと発展していく。
これまで古代ギリシア文明は真白い大理石の彫刻や白亜の神殿に象徴されるように「白い文明」と言われてきた。これは18世紀ドイツの美術史家ヴィンケルマンの説で、彼はエジプトやメソポタミアとは異なったギリシア芸術の独自性を唱えたのである。ところが近年の研究によると、彫刻や建物が白いのは色が年数を経て剥げ落ちたためであり、本来は極彩色の色彩が施されているものが多いことがわかった。ギリシア文明は純粋な「白の文明」ではなかった。しかし未開社会から文明社会になると白への恐怖心も減少していく。白い教会などはその代表例であろう。人間は物質的に豊かになっていくにつれて、白いものに憧れる傾向が増して来る。20世紀の現代建築やインテリアなどをみると、白が基調になっていることが多くみられる。さらに「白の文明」は進展していくであろう。
毎日工場で働くチャーリーは、スパナを両手に次々と送られてくるベルトコンベアーの部品を回し続けるという単純作業を繰り返している。そして苛酷なまでの時間管理によってチャーリーの精神が異常をきたす。名作「モダンタイムス」がアメリカで公開されたのは1936年のこと。アメリカでは「科学的管理法の父」といわれるフレデリック・テイラー(1856-1915)が1910年頃から労働管理をはじめ、効率的なカードによる記憶システムを開発していた。「ティクラー・システム」と呼ばれ、43枚のホルダーに分類され、日程やカレンダーごとに事項が分類、整理されている。ticklerとは、「備忘録」「くすぐる人」を意味するが、日常の仕事において、くすぐる役目を持っている。tickler file
OMGとは、Oh My Godの略。3文字の略語を集める。
AAA(アメリカ自動車協会)
GDP(国内総生産)
OED(オックスフォード英語辞典)
NPO(非営利民間組織)のPは何という英単語か?
profit 利益
NPT(核兵器不拡散条約)のPは?
proliferation 拡散
MVP(最優秀選手)のPは?
player 選手
DNA(デオキシリボ核酸)、DHA(ドコサヘキサエン酸)のAは?
acid 酸
ILO (国際労働機関)のLは?
labor 労働
LED(発光ダイオード)のEは?
emitting (光など)を発散する
iPS(人工多細胞性幹細胞)のPは?
pluripotent 分化万能性
TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の最後のPは?
partnership 連携協定
1967年のこの日、ヴィヴィアン・リーは肺結核の合併症で53歳で亡くなった。イギリス人を両親にインドのダージリンで生まれた。ロンドンで演技修行をし、1934年、映画にデビュー。恋人ローレンス・オリヴィエを追ってハリウッドへ渡り「風と共に去りぬ」のスカーレット・オハラ役に抜擢された。
なぜアメリカ南部の娘スカーレットをイギリス人の女優が演じたのか。やはりアメリカ人は、イギリスの上品な顔に憧れるのだろう。名誉も家庭も捨てて激しい恋に走り身を滅ぼすという貴婦人の役が多い。「アンナ・カレーニナ」はその典型。「欲望という名の電車」のブランチは病的な感じを追加した役どこか。ブロードウェイで上演したとき、ブランチはジェシカ・タンディだったが、ロンドンで彼女が演じ、映画でもアカデミー女優賞を獲得した。私生活では躁鬱病に悩み不幸だったが、舞台、映画ではラッキーな彼女だった。類まれな美貌はエリザベス・テーラーとともに不滅である。(Vivien Leigh 7月8日)
彼女のもうひとつの代表作が「哀愁」(1940)。戦前の作品ながら、日本では戦後公開され大ヒットした。ヴィヴィアン版では典型的なメロドラマとなっているが、前作メイ・クラーク版「ウォタルウ橋」(1931)から大きく改変している。前作のマイラ(メイ・クラーク)は、バレリーナではなく、もとから夜の女であり、「哀愁」ではストーリーが甘美で上品になっている。そのあたりは、You Tube「淀川長治、哀愁を語る」で詳しく解説している。
ふるさと切手。1995年に発行された新潟県「ヒスイの里と相馬御風」古代、古志(越、こし)の国(現在の新潟県糸魚川市)、奴奈川姫という女王がヒスイの勾玉を身につけ霊力を発揮して統治していた。この姫は賢く美しかったので、遠く出雲の国まで聞こえていた。大国主命は、この姫を嫁にするべくはるばる越の国までやってきて、妻問いの後結婚をして一子をもうけた。この子が御柱の奇祭で有名な諏訪大社の祭神「建御名方命(たけみなかたのみこと)」である。新潟県がヒスイの産地であることは長い間、忘れ去られたが歌人の相馬御風はこの伝説を信じて、人を使わしてヒスイを探したところ、1938年、糸魚川市の小滝川からヒスイの原石が発見された。参考:河野義禮「本邦に於ける翡翠の新産出及び其化学性質」岩石鉱物鉱床学会誌 1939年
「ミニマリスト」とは、不要な要素を排除することを努める人という意味で、持ち物を厳選することで暮らしを統一感あるシンプルにするシンプル・ライフとは少し異なる。最小限主義者。ギリシアの哲学者ディオゲネスが元祖か。禅の教えにも、「本来無一物」(六経壇経)とある。この世界は空であり、無である。どこに塵など付くことがあろうかと説く。画像のような暮らしは、コンビニが近くにある都市部の若者なら可能かもしれない。正座しているのはわざとらしい。カーテンは要ると思う。暑い夏、熱中症にならないためにはエアコンは絶対必要。牛乳やバターを保存するため冷蔵庫もほしい。トースターやコーヒー・メーカーや電気ポット、米びつ、シェーバー。冬は炬燵や電気カーペットも。もちろんテレビやパソコン。パンツやシャツを洗うためには洗濯機も必要。洗剤やトイレット・ペーパー、ティッシュは安いときに買いだめしておく。結局、部屋には物があふれてミニマリストになれない自分。(minimalist)
20世紀初頭のセントルイスを舞台にしたミュージカル映画「若草の頃」(1944)の挿入歌。ジュディ・ガーランドの「虹の彼方に」と並ぶシグネチュア・ソングとも言える歌の1つである。あまりジャズ歌手には歌われないようだが、高揚した気分を擬音の多用で表現したスピード感ある歌で、14週に渡りヒットパレードをにぎわした。トロリーはパンタグラフのように集電をするための架線に接する滑車の名称で、路面電車のこと。作曲家のヒュー・マーティンとラルフ・ブレインはトロリーの歌を書くのは田舎臭く感じて気が乗らなかった。しかし制作サイドに命じられて、ブレインは図書館に行き古いセントルイスの本を見たら、二階建てのトロリーの写真があり、そこに Clang、Clang、Clang、went to the trolleyというキャプションがあるのを見た。早速マーティンに伝え、十分ほどでこのフレーズを使った歌が出来上がった。
英語で「お尻」は?butt(buttocks)という。最近、自分のお尻を撮影するベルフィーbelfie(buttとselfieを合わせた造語)という言葉が流行している。お尻に関しては、身体の部位なのでさまざまな表現があるが、buttocksは椅子に座ったとき当たる部分を指す。hipsは腰骨の張り出した部分。assはロバ、愚か者の意味だが、米俗語で「尻」の意味がある。ass-lickerは「尻を舐める人」で「おべっか使い」「ぺこぺこする人」の意味である。「お尻」はフランス語「cul(キュル)」、ドイツ語「arsch(アルシュ)」、イタリア語「sedere」。モーツァルトの曲に「Leck mich in Arsch」がある。直訳すれば「俺の尻を舐めろ」だが、これは日本語の「消え失せろ」「くそ喰らえ!」に近い意味だそうだ。(Mozart)
第13代将軍徳川家定が倒れたのは安政5年6月25日であるから、死の11日前である。この日は諸大名に総登城が命ぜられ、紀州慶福(7月21日家茂と改名)を世嗣に決定した旨の発表があり、そのお広めとして慶福以下に御対顔があったその日である。家定はそのあと急に工合が悪くなり、当時大奥に勤めていた佐々鎮子の話によると、松の廊下から人につかまってお出になったという。そしてそのまま回復を見ず、7月6日申の下刻(午後5時)亡くなった。数え年35歳である。死因はコレラという説もある。
家定は12代将軍・家慶の三男で、「幼少にて重き疱瘡に罹り給ひ、満面の痘痕に醜くなららせれ、且病身がちなる上、俗に謂ゆる癇症にて、眼口時々痙攣し、首また之に従い、一見笑ふべき奇態を為し、言語も亦やや訥して吃るが如くなりけり」(「徳川慶喜公伝」)といった気の毒な生立ちで、成人するとその癖を恥じて人に会うのを厭い、「御簾中は前後三人まで迎へられしかど、曽て男女の語らひもなら」ざる状態で、ひどい抑鬱症に陥っていたらしい。大河ドラマ「篤姫」で家定を好演した堺雅人と原作者の宮尾登美子が文藝春秋で対談している。それによると宮尾登美子は家定の癇症を水銀中毒だったとしている。「徳川家に限らず、貴族の奥さんは自分で子供を育てずに、乳母を雇って、お乳を飲ませます。その乳母が厚塗りのお化粧をしていて、赤ちゃんが舐めるんですよ、白粉を」そして宮尾は「(家定は)さほど暗愚じゃなかった」と言っている。
空海が最澄に送った手紙三通を集めて一巻の巻物としたもの。その第一通が「風信雲書、天より翔臨す」と書き出しているところから、「風信帖」の名で呼ばれる。空海と最澄の親交は、かなり親密なものであった。当然ながら、空海の手紙は、最澄のいた比叡山延暦寺に伝えられていた。ゆったりと重厚な筆使いは、明らかに斬新なもので、空海以前の日本書道には見られない。空海の40歳前後の筆跡と推定されるが、洗練された筆致は、その書風の完成が窺われる。ところで、「風信帖」の三通の書状は、いずれも月日のみで、年の記載がなく、弘仁元年から3年まで諸説ある。財津永次は弘仁2年(811)とする結論をとなえた。これに対して、秋宗康子は、弘仁元年説とされて、現在に至るまで定説はない。
空海と最澄、両者は親密な間柄だったが、後に決別する。その原因は、最澄の溺愛する弟子、泰範(たいはん)を空海にとられたことや、空海による「理趣釈経」の貸与拒否が挙げられている。
参考文献:財津永次「伝教大師消息について」田山方南華甲記念論文集所収、秋宗康子「最澄と空海の往復書簡について」小葉田淳教授退官記念国史論叢所収
「最澄か空海か」 Ryu Seledtion 寺林峻 経済界 1986
「最澄・空海」 日本の仏教思想 渡辺照宏 筑摩書房 1986
運転手の話によると、昭和24年7月5日の朝、国鉄総裁・下山定則(満47歳)は、8時30分に自宅を出て、丸の内千代田銀行に30分くらい入った後、買物があるからといって三越本店に立ち寄った。下山はそのまま行方不明となった。
翌6日零時25分ごろ、東京都足立区の常磐線綾瀬駅付近の線路上でバラバラの下山の轢死体が発見された。警視庁は古畑種基ら東大法医学教室の解剖結果にもとづいて「死因は不明。出血が少なく生活反応が認められないので、死後轢断と思われる」と他殺説の見解を示した。その後、中館久平慶大教授らは「生体轢断」を主張した。警視庁は昭和38年12月31日、捜査本部を解散し、39年には自殺か他殺か不明のまま時効が成立した。新聞記者の矢田喜美雄は、死体を運んだ時に線路上に点々と落ちたと推定される血液の跡をルミノール反応によって確認した。それは死後轢断と鑑定した東大の解剖結果とも合致する。そして矢田は、昭和45年になって、謝礼金をもらい死体を車のトランクから3人でレールの上に運んだという男をつきとめた。矢田は「CICが日本人を使って工作した謀略である」と断定している。下山事件の真相は、今だに謎のままである。
源実朝の急死によって勃発した承久の乱。挙兵した後鳥羽上皇だったが、泰時を総大将とする幕府軍が19万余りの大軍であるのに対して、朝廷方は北面の武士、僧兵などを合わせてもわずか2万数千にすぎなかった。両軍の合戦は木曽川から始まったが、多勢に無勢、朝廷方の藤原秀康はほとんど戦いらしい戦いもせずに敗走した。そんな朝廷方の中、奮戦した2人の武将がいた。鏡久綱は「逃げる途中で討たれて無様に死ぬよりも、ここで足止めして死ぬ」と自ら志願して残った。岐阜県各務原市前渡はむかし「摩免戸(まめど)」と呼ばれ、最も重要な陣が置かれていた。鏡は奮戦したが自害して果てた。杭瀬川に止まって奮戦した山田重忠は京都に逃れて嵯峨野で自害した。
日本で売れる絵の3大条件というのがあって、それは
1.きれい
2.丁寧
3.細かい
この3つだということである。プラス
4.花か風景
美術館にある絵ではなく、自分の部屋に飾る絵。近頃はインテリアアートの絵がたくさん販売されている。「ギャラリーセラーの武田美和子が鼎談で「奈良美智さんが好きな人とラッセン好きな人は同じだと思う」と発言し、奈良が激怒し、物議を醸したそうである。ラッセンとは神秘的なイルカの絵で知られるアメリカの画家。ラッセンの絵は売れる3大条件を見事にクリアしている。欧米にはインテリアアートの画家が多い。ここで紹介するのはアメリカの女性画家、クラウディア・ハートレー。ポップな色を使ったわかりやすい絵で、ジグソーパズルもたくさん発売されている。
足の速いウサギがカメと競争して負けるお話「ウサギとカメ」はイソップ寓話にあり、世界各国で知られている。平凡社「世界大百科事典」(1998年)には「1593年、天草で刊行された伊曽保物語にその最初の形が認められる」とあるが、実際には天草版にこの話はない。1600年に刊行された古活字版伊曽保物語にもない。近世の出版物から「ウサギとカメ」の話は文献上発見されていない。日本で普及したのは明治になってからと考えられている。ところでさまざまな動物を変えた「ウサギとカメ」が世界にはある。東アフリカのタンザニアの民話ではウサギとカメレオンが競争する。カメレオンはスタートした途端にウサギの尾に飛び乗ったが、猛スピードで走るウサギはそのことに気がつかなかった。ゴールの直前でカメレオンはウサギから飛び降り「同着だね」と言いましたとさ。(参考:荒俣宏「世界大博物館3両生・爬虫類」)
聖ソフィア聖堂のモザイク。中央はキリストを抱くマリア、右側がコンスタンティヌス帝、左側はユスティニアヌス帝。
テオドラ(500頃ー548)の父はヒッポドロームつまり、馬車競技場で働く、熊の世話係だった。彼女自身も子供のころから踊り子として働いていた。そしてその美しさが、ユスティニアヌスに見初められたのだ。皇妃テオドラは、弱気な夫を助けた。532年のニカの乱の際、テオドラの毅然とした態度は有名である。
「たとえ命ながらえることができたとしても、今は逃げるべきではありません。この世に生まれたものは、いつか必ず死を迎えます。皇帝たる者、逃亡者になることなど決してあってはならないのです。私は「帝衣は最高の死装束である」という古の言葉に深い共感を抱いています」
これによって勇気を取り戻したユスティニアヌスは、反乱の武力鎮圧に成功した。テオドラは独裁的で気まぐれな面もあるが、貧困者のための病院や売春婦のための住居を作ったりした。3万人の反乱市民を虐殺しながらも、高校講座世界史「ビザンツ帝国」では高く評価をしていた。
郷ひろみは1972年の「男の子女の子」からデビュー43年を迎え、記念すべき100thシングルをリリースした。タイトルは「100の願い」。ちなみに松田聖子はこれまでに80枚のシングルをリリースしている。日本の歌手で最多シングルを発売した歌手は誰か?美空ひばりで302枚といわれる。島倉千代子や三橋美智也は確認するだけで500枚を超えているが、民謡や地方のレコードを吹き込んだ曲もあり、1000枚を超えているともいわれ、はっきりとわからない。現役の歌手では森進一。新曲「あるがままに生きる」は123枚目のシングル。
足に合った靴を選ぼうとせず、足を削って履物に合わせようとする。本末転倒も甚だしいことのたとえ。淮南子には「足を削って履(くつ)に合わせ、頭を殺(そ)いで冠の大きさにするようなものだ」とある。
NHKでは、日本海海戦を大勝利にみちびいた知将の秋山真之、その兄の陸軍大将秋山好古、同郷で親友の俳聖正岡子規、三人の生涯を余すところなく描いた司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」を再放送している。率直な感想は、明治人の気概や爽快さなど横溢しており、ドラマとしては良質のものである。ただ日露戦争に続く日本の悲惨な歴史を考えると手ばなしで喜ぶこともできない人も多いだろう。ドラマの中でしばしば福沢諭吉の言葉がでてくる。「一身独立して一国独立す」と。ドラマのテーマを一言で言いえている。今日の朝日新聞の夕刊記事で梅棹忠夫さんのことが紹介されていた。梅棹忠夫さんの漢字廃止論は有名だそうだ。また宮沢内閣のとき、アジア太平洋問題に関する首相の諮問委員会が設置された最初のゲストスピーカーが梅棹さんだった。開口一番「日本が大陸アジアと付き合ってろくなことがない、が私の結論です」と言われて、参加者はあっけにとられたそうだ。まるで福沢の脱亜入欧論ではないか。その梅棹さんはこんなことも言っている。「みなさまがたのなかには、明治生まれのかたがかなりたくさんいらっしゃるようにお見うけいたしますので、たいへん失礼な表現になるかとおもいますが、明治をしらない現代人からみれば、明治はやはり、はるかなむかしというほかありません。この一世紀は、日本の国家にとりまして、ひじょうな躍進の時代であり、いわば国家としての急速な成長期でありました。極東の一角のささやかな国家から、たちまちにして世界のいわゆる列強のひとつに仲間いりをするようになったのであります。数次にわたる対外戦争および第二次世界大戦における敗戦というきびしい試練をうけましたけれども、その傷もおおむね回復して、今日においては、国の実力からいいましても、すでに堂々たる大国であり、ふたたび第一級の国にのしあがったのです。もともと日本は、明治の初期には完全な農業国であって、だいたい国民の80%以上が農民でした。それがいまや農業人口は40%をきるところまで縮小しています。日本はそういう国がらにかわってきたのです。農業国から工業国にはっきり転換したのです。そして、それにともなって、国家の、あるいは社会の、いわば生理作用がかわってきたのです。わずか一世紀のあいだに、日本はすっかり体質がかわってしまいました。そういう社会あるいは国家の体質の変化にともないまして、国民の個人生活、あるいは人生についてのかんがえかたというのも、明治のころとくらべまして、もうすっかりべつなものになってしまっていると、わたしはおもうのです。(中略)明治時代のひとの人生の生きかたというものをかんがえてみると、これは理想にむかって驀進した猪突猛進型であったといえましょう。イノシシがキバをむきだして目的にむかって驀進した。そのとき、個人の目的と国家・社会の目的とは一致していたのです。そのものすごいエネルギーによって、かれ自身は立身出世し、同時に近代日本の建設がすすんで、このような繁栄がもたらされたというわけです。しかしながら、その繁栄の結果として、現代ではイノシシのキバは不要になったのです。あるいは、平和な社会生活においては、キバは邪魔でさえある。おしあい、へしあいの高密度社会で、そういうキバをふりまわされては、あぶなくて仕かたがない。他人が迷惑する。そういう時代になってきたのです。そこで、キバはすてるほかない。武装解除です。現代は、イノシシたちの武装解除の時代です。キバをうしなったイノシシとは、なんであるか。それはつまりブタでしょう。現代の日本の青年たちはまさにブタのごとき存在になりつつあるというわけです。(中略)これはどうも日本だけの話ではないのでして、近代国家の生活者一般の未来像なのです。」
「キバと幸福」1959年11月10日の講演。民俗学者、梅棹忠夫(1920-2010)のユニークな文明史観、未来像は注目に値する。1959年というかなり以前の講演であるが、今、「坂の上の雲」を見て、梅棹忠夫の著作に注目している。さらに講演は続く。
「そこでこれからどうなってゆくんだろうかということですが、こういう世俗のきわみのままでどんどんながれていって、われわれの社会はどうなってゆくのか。心の奥そこまで世俗化され、そのあげくのはてに、いったいどういうことになってゆくのかということです。どうもこれはへんないいかたでありますが、わたしは、そのような幸福追求とか生活水準の向上とかの世俗のきわみのはてに、もういっぺんに崇高な、なにか聖なるものがでてくる可能性があるのではないか、とかんがえています。聖なるものというのは、いったいどういうことか。かんたんにいいますと、目的がないということなのです。すくなくとも、実利的目的がない、そういう性質のものです。そのことを一所懸命にやったところで、わが身になんの利益も還元することがない、そういう性質のものです。つまりなにかを獲得するために自分はこうするのだということでなしに、おかえしを期待しない行為、これをわたしはひじょうに神聖なものだとかんがえています。完全な自己放出、あるいは、自分自身をなにかにささげてしまう、そういう生きかたです。さきほどから俗なるものといっているのは、それとはちがうものなのです。こうすればこうなるというような、やりとり関係のなかで人生が組みあげられている。幸福追求というものはやはりそうだとおもうのです。なにか自分が努力することによって、こういうものをかちとることができるのだ、というふうになっている。聖なるものというのはそうではなくて、全然おかえしを期待しないで自分自身をなにかにポッとほうりなげてしまう。こういうのが、聖なるものとよばれるものだとおもいます。そして、人間の聖なる行為というものは、世俗的欲求がいちおう充足されたときにでてくるものではないか、というのがわたしの仮説なのです。(中略)ブタに、もう一どキバがはえてくるかもしれないのです。ブタの再武装です。しかし、このときキバはすでに防御や攻撃に有効な、生物的生存目的をもったキバではありません。あたらしいキバは精神のキバです。人間の問題は、本来人間の精神の問題です。もし個人がキバをもつとすれば、それは精神のキバです。それは、生物的生存目的のためには不必要な武装です。それは、生物的な目的の喪失をこえて、人間精神の聖なる放出のための武装です。世俗の生活がみちたりたとき、精神の神聖な再武装がはじまるというわけです。」7月3日は梅棹忠夫の命日。
サッカー女子W杯。なんとイングランドのローラ・バセット選手が痛恨のオウンゴールを日本に献上してくれて決勝に進出することができた。試合後、泣きじゃくるローラをチームメイトがなぐさめていた。かわいそうなローラ。心ないバッシングが起きないことを願う。
21年も昔のこと、1994年7月2日、コロンビアのサッカー選手アンドレス・エスコバルがオウンゴールをしたため射殺されるという事件があった。エスコバルはワールドカップで痛恨のオウンゴールをアメリカに献上し、コロンビアの1次ラウンド敗退が決定した。終了後、代表チームの選手の多くは国民の非難を恐れて帰国を拒否してアメリカに留まった。そんな中でエスコバルだけは、「自分はあのオウンゴールについてファンやマスコミに説明する義務がある」とただ一人、意を決して帰国した。7月2日の深夜3時半頃、バーから出たエスコバルはベルト・ムニョス・カストロによって銃撃され死亡した。まだ27歳という若さであった。スポーツとは時に残酷な結果になることがある。しかしローラ選手にはいま世界中から賞賛と励ましの声が寄せられている。
最近、ヒラリー・スワンク主演の映画「アメリア永遠の翼」が公開されたので日本でもその名前が知られるようになったアメリア・メリー・エアハート(1897-1937)。ショート・ヘア、シルクスカーフ、皮のコート、男物のズボンを愛用し、空の英雄リンドバーグにちなんで「レディ・リンディ」と呼ばれた。
1932年5月20日、アメリアは女性初の北大西洋無着陸横断飛行に成功した。リンドバーグに遅れることわずか5年である。リンドバーグのようにパリに着陸を望んだが、強風のためアイルランドのロンドンデリー付近の牧場に着陸した。それから5年後の7月2日未明、アメリアは南太平洋ハウランド島付近で消息を絶ったまま帰らぬ人となった。わずか41歳という大空に賭けた短い人生だった。(アメリア・イアハート)
「歴史ヒストリア」漱石と妻と猫。猫が漱石夫婦の絆をとりもったという話である。再現映像の鏡子に扮した大塚千弘が好演。夏目漱石の「吾輩は猫である」は中学生のときに読んだきりで、本当にじっくりと味わっていなかった。先日、市川崑の映画(1975年)を見ていると、苦沙弥先生の姪で雪江という女学生が登場する。島田陽子で入浴シーンもあるが、原作にそんな箇所があったのか覚えがない。映画は1936年の山本嘉次郎の作品もあるが、再度みると市川崑の作品はよく出来ていると思う。もう「吾輩は猫である」を映画化する企画などはないと思うと、登場するキャラクターに妙な懐かしみを感じる。主人公の珍野苦沙弥は漱石自身の自画像とみてさしつかえないが、一説によると狩野亨吉とも言われるようである。京都帝国大学文科大学長となったが僅か2年で辞職し、以後、官職につかず、書画の鑑定売買によって生計を立てながら質素な独身生活を送った。苦沙弥の姪の雪江を目当てに、口実をつくってはよく顔を出す迷亭や寒月にもモデルがいる。金縁めがねの美学者・迷亭は東京帝国大学教授、大塚保治(1869-1931)である。バイオリンを弾く理学者・水島寒月は寺田寅彦(1878-1935)。詩人の越智東風はわからない。学生時代に漱石に文学を勧めた哲学者の米山保三郎(1869-1897)は登場しないが、会話中に「天然居士」として出てくる。そして雪江さんのモデルは誰なのだろうか。
主人は夕飯をすまして書斎にはいる。細君は肌寒の襦袢の襟をかき合わせて、洗いざらしのふだん着を縫う。子供は枕を並べて寝る。下女は湯に行った。
年をとってから読み直すと、ユーモア小説もどこか哀しい雰囲気が漂って感じられる。
英米では最初にいつも天気について話す。そのあと映画やテレビの話をする。会話にシネマのセリフを引用するのが好きである。とくにハンフリー・ボガート扮するリック・ブレインのカサブランカでの台詞「君の瞳に乾杯」は人口に膾炙するところである。日本語は字幕翻訳者・高瀬鎮夫によるものでかなり意訳ともいえる。「Here's looking at you, kid.」直訳すると、「あなたを見ているということに乾杯」となり、「君のことを見ているだけで僕は幸せだ」ということだろうか。さらに美しいバーグマンを目の前にしたボガートの心境になりきって、その感動を込めてハードボイルド風に解釈すれば、「美酒を湛えた杯のような君の瞳に映っている男はじっと君を見つめていて、なんとそれは俺ではないか。その俺の感動を、いまここにこうしている俺の刹那を祝して君に伝えよう」となる。(Humphrey Bogart)
昨日、東海道小田原駅付近で走行中の新幹線のぞみの乗客が焼身自殺を図り、2人が死亡、26人が重軽傷を負った。男は持参したポリタンクからガソリンをかぶりライターで着火した。火と黒煙は車内にすぐに広がり、パニックとなり乗客の1人は「死ぬかと思った」と恐怖を語る。報道では「開業以来、初の死者」とある。実は1995年に高校生が三島駅で事故死している。つまり鉄道運行そのものの事故による死ではなく、事件との認識なのであろうか。しかし今回の事件は火災が発生したため国土交通省では初めて「列車火災事故」と認定したため、1964年開業以来初めての死者というカウントになったらしい。問題は安心であるはずの新幹線がとても恐ろしい場所である、ということを知らされた。現行の運行管理体制では模倣犯が起こらぬとは誰もいえまい。密閉した空間で見知らぬ人が集まり、さらに恐ろしいスピードで走っている。危険と隣り合わせに居るという覚悟をしなければならない。動機は生活苦らしい。年金月12万円也。
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