古代ローマの公共浴場
古代ローマ人は自宅に浴室を持つことは余程の金持ちしか許されなかったことで、普通は夕食前に公共浴場に湯あみに行った。このため、大都市の権力者は、民衆の人気取りに立派な公共浴場を建設した。現在残っている公共浴場跡で一番大規模なのはカラカラ帝が建てた浴場である。これは1日6000人もの浴客を収容できたといわれる。
広いたたきのあるサウナ風呂、湯をたたえた浴槽の大きな部屋、冷水浴室、図書室などが完備していた。このほか、ローマ皇帝や貴族たちは、湯治用の温泉・鉱泉場も活用し、この壮麗な建物の廃墟はイタリア各地に残っている。ローマの詩人ホラティウスは、皇帝アウグストゥスが侍医の薦めで肝臓肥大の治療のためトスカーナにあるキアンチャーノ鉱泉場に赴いたと記している。
浴室や浴場は古代ローマでは、バルネアbalneaeとか、テルマエthermaeとか呼ばれた。英語のbathの語源は、イギリス南西部の町バースに由来するといわれる。しかしこれは厳密には正しくない。この地が温泉がある町なのでBathと名付けられたのであり、英語bathの語源は「暖めるひと」を意味する印欧祖語として既にあったのである。( keyword;Terme di Caracalla,Augustus,Chianciano )
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