安珍清姫
安珍清姫の伝説は「本朝法華験記」や「今昔物語集」に見られるが、熊野詣での若僧と牟婁郡の宿の女主とあるだけで、安珍の名は「元亨釈書」、清姫は根津美術館蔵「賢学草紙」に出てくるのが最も古い。和歌山県日高郡の道成寺に「道成寺縁起絵巻」が伝来するが、名は見えない。
物語は、熊野詣での奥州白河の安珍という若僧が紀州牟婁郡の真砂の里で庄司清重の家に泊まった。庄司の娘はみめうるわしく清姫といった。安珍は行く末はわが妻にせんとひそかに清姫に語った。ところが、ある夜、安珍は障子に映った蛇身の清姫を見て、その物凄い形相に恐れをなした。それとは知らず姫は安珍を慕いつづけた。安珍は熊野詣での帰りにきっと立ち寄って添い遂げましょうと約束して旅立った。けれども、熊野詣でをすませた頃になっても、安珍は戻って来なかった。裏切られた清姫は、真砂の里から、田辺、印南と、安珍を追って走る。清姫の姿は今は鬼女のような姿に変身していた。やがて安珍に追いついたものの、人違いと言われて清姫は激怒する。蛇身となって、日高川を渡る。安珍は女人禁制の道成寺の釣鐘の中に隠れるが、蛇となった清姫は鐘に巻きつくと炎となって燃えあがった。蛇が去ったあと、炭と化した安珍の亡骸があった。寺の老僧の夢に二匹の蛇が現われ、法華経の書写と回向をたのむので、そのとおりにすると、再び夢で、天人となったことを告げたという。この安珍清姫の伝説に基づいて、謡曲「道成寺」、浄瑠璃「日高川入相桜」、歌舞伎「京鹿子娘道成寺」などが成った。
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