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2015年6月24日 (水)

日本国家の起源

    「日本の国家の起源は何処にあるのでしょうか?」と真顔で尋ねられて、「かくかくしかじか」と答えられる人はいないのではないだろうか。一応「邪馬台国」が日本史に現れる国らしきものであろうが、それとても国家として体裁が整えられているものであるかは明らかではない。戦後の一時期、日本を代表するような学者、東京大学の井上光貞が九州説を、京都大学の上田正昭が畿内説を唱えた。当然、子分のような学者がその師匠の説に補強をして、いわゆる邪馬台国論争なるものは現在にまで至っている。この邪馬台国の位置問題は神武東征をどうみるか、つまり天皇の起源とも関連する。記紀で皇室の先祖が高天原から日向の国に下ってそこで数代を経て神武天皇の時に大和へ遷ったとする伝承は史実としてみるには怪しげなものである。和辻哲郎が嚆矢であろうか。「日本古代文化」(1920)において邪馬台国東遷説をとなえた。続いて栗山周一が「少年国史以前のお話」(1932)と「日本欠史時代の研究」(1933)で邪馬台国東遷説をのべている。高橋健自のように「考古学から観た邪馬台国」(1922)で畿内説も神武東征にふれている。そもそも「天皇」号の現れたのは、7世紀頃と思われるが、天皇号が突如として出現したものではなく、必ずや、これに代わる前段階の称号があったであろう。しかしそれを「大王」という称号とするのは早計であろう。宮崎市定は「天王」号だと推論している。(宮崎市定「天皇なる称号の由来について」古代大和朝廷)また津田左右吉は、天皇の由来について次のように考えた。天皇の号は、占星術的思想においては、本来、天帝のことで、宗教的意義のものであり神であったが、のちに北極星の名となった。他方、神仙説においては、太古の帝王とされた空想的人物の名であったが、転じて神仙となって、宗教的信仰の対象となり、やはり天帝の観念に結びついている。つまり神仙説や道教に関する思想が天皇の起源と考えられる。(山尾幸久「古代天皇制の成立」天皇制と民衆)神仙思想の徐福東渡の伝説(縄文文化を伝えたとされる?)も単なるつくり話として一笑に伏すことはできないだろう。

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