無料ブログはココログ

« 熊本城と水前寺成趣園 | トップページ | 日本国家の起源 »

2015年6月24日 (水)

瓜生島伝説と沖の浜

Photo_4

    大分県の別府沖の浜一帯には、慶長元年に津波被害があった。伝説によると、島山の一端に弁財天社があって、村のならず者が弁財天の顔をイタズラして赤く塗ったため、祟りのため大地震が起こったとある。これによると別府湾に位置していた瓜生島は1日にして沈んだとされる。島の大きさは周囲約12km、人口5千人余り。この地震は慶長地震といわれ、1596年9月4日、マグニチュード6.9と推定される。当時、日本に滞在していたイエズス界のルイス・フロイスも「九州にある太閤の海港が地震によって被害を受けた」と書き留めている。海港とは沖の浜のことで、かつて大友宗麟によって築かれた港だった。その他、沖の浜の津波被害の記録はあるが、瓜生島の名はでてこない。瓜生島が文献に出てくるのは元禄以降である。「豊府紀聞」には「瓜生島がことごとく沈没して海底となった」とある。

    近代になって、大分市史なども瓜生島の存在を認める記述もみられる。しかし瓜生島については、存在を否定する説、島ではなく半島だったとする説、別府市または大分市にあたる村であったとする説、など諸説あり、現在のところ不明である。沖の浜の海底沈没の史実を下敷にして、地震が瓜生島伝説に置き換えられたと思われる。1977年と1980年の2度にわたって瓜生島調査会の海底探索にもかかわらず、遺物は何一つ発見されなかった。

「戦国時代の豊後府内港」 岡本良知 大分県地方史10  1956年

「府中沖の浜と瓜生島伝説」 加藤知宏 大分県立芸術文化短期大学研究紀要35  1997年

« 熊本城と水前寺成趣園 | トップページ | 日本国家の起源 »

「民俗」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 熊本城と水前寺成趣園 | トップページ | 日本国家の起源 »

最近のトラックバック

2018年6月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30