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2015年6月24日 (水)

熊本城と水前寺成趣園

Photo    加藤清正(1562-1611)が慶長6年(1601年)から7年の歳月を費やして築城した熊本城(別名、銀杏城)は、日本三名城のひとつ。600本の満開の桜が天守を彩り、武者返しと呼ばれる反り返った石垣に生える桜の美しさも見事である。

    文明年間(1469-1487)菊池氏の一族・出田秀信(?-1485)が、北東隅の小丘に千葉城を構え、大永・享禄年間(1521-1532)鹿子木親員(寂心)(?-1549)が南隅に隈本城(古城)を築城。天正15年、豊臣秀吉が九州統一後、佐々成政が肥後一国に封ぜられて入城したが、翌年改易され、そのあとへ加藤清正と小西行長(1555-1600)とが半国ずつに封ぜられ、清正は隈本城に、行長は宇土城にはいった。慶長5年、関ヶ原の戦いで清正は東軍に、行長は西軍に属し、戦後清正は小西領跡を与えられ、肥後52万石の領主になった。慶長6年、千葉城跡と隈本城との中間にある茶臼山に本丸を置き、両城の範囲を取り囲んで、一大城郭とした。石垣の高く急で丈夫なことは無類といわれる。普請奉行は飯田覚兵衛、森本儀太夫で、後年名古屋城、江戸城などの工事に手腕を発揮した石垣造りの名人であった。慶長12年完成し、本丸には7層7階の天守を建て、隈本を熊本と改めた。大天守閣と小天守閣があり、大天守が武器庫として使われていたのに対して、小天守には台所が備えられ生活の場としての役割を担っていたことがわかる。

   水前寺成趣園は池を中心とした桃山式回遊庭園で東海道五十三次の景勝を模したといわれる。

    細川藩は加藤清正の子、加藤忠広(1601-1652)は寛永9年改易され、そのあとに細川忠利(1586-1641)が小倉から国替えで入城した。細川家は、忠利のあと細川光尚、細川綱利、細川宣紀、細川宗孝、細川重賢、細川治年、細川斉茲、細川斉樹、細川斉護、細川韶邦と11代、240年間、維新まで続いた。

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コメント

 熊本城はこの度の地震により甚大な被害を受けました。城は県民の誇りであり、国の重要文化財に指定されている歴史的建造物です。再びあの雄姿を複旧させたいのが熊本県民の切なる願いです。

 熊本市では、「熊本城災害複旧支援金」のお願いをしています。以下は、熊本市のホームページからの抜粋です。
 肥後銀行: 熊本市役所支店
 口座番号; 1471716
 名義   ; 熊本城災害復興支援金

 皆様のご支援をお願いいたします。

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