池田屋騒動 山崎烝と古高俊太郎
昨夜の大河ドラマ「花燃ゆ」。宮部鼎蔵(ビビる大木)ら攘夷派志士が新選組の襲撃を受ける池田屋事件が描かれる。ドラマでは京都大火計画などは新選組の捏造(でっち上げ)としていた。近藤勇、土方歳三、沖田総司の面々は登場するが山崎烝が描かれないのが残念。新選組監察の山崎蒸は池田屋騒動では、薬屋に変装して池田屋へ泊り込んで、西国浪士の動向を探知、密会のあることを報知した。山崎は赤穂浪士の裏切り者の奥野将監の子孫であり、大高源吾の子孫の長州の大高忠兵衛に腰抜け呼ばわりされたために長州への恨みから新選組に入隊したといわれる。司馬遼太郎は山崎を評して次のように書いている。「山崎は、才子肌ではない。新選組では、才子肌の男は、近藤、土方の手でほとんど殺されている。副長であった山南敬助、伊東甲子太郎がその好例で、逆にすこし田舎じみた実直な男が近藤に愛された。近藤自身、百姓型の男だから、都会的な才子がきらい、というよりもこわかったのだろう。山崎は、大坂そだちのくせに、変に土くさいところのある男だったから、近藤から可愛がられた」とある。しかしこれら山崎の話は下母沢寛や司馬の創作ともいわれている。池田屋の論功行賞の授与一覧の中に山崎烝の名がないことから、山崎は池田屋に関与しなかったというのが通説となっている。
一方、勤皇の志士、古高俊太郎は京都木屋町四条角の道具屋「枡屋」の商人となり同志にアジトに提供していた。その後、新選組に捕縛され、逆さ吊りにされるなど厳しい拷問を受け、御所焼き討ち計画を自白する。これが池田屋騒動の発端となった。捕縛された古高は六角獄舎に収容されたが、1か月後に斬首される。墓は上京区の福勝寺や竹林寺など数か所にある。故郷の滋賀県守山市古高町には祖先の墓がある。
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