鍋島化け猫騒動
肥前の竜造寺隆信は島津・有馬氏との戦いで戦死し、病弱な政家に代わったので竜造寺家は衰退していく。代わって重臣の鍋島直茂が竜造寺家の実権を掌握した。ときは徳川家康、江戸開府の頃である。直茂の子の勝茂は初代佐賀藩主となった。だが勝茂の長男・元茂は、徳川家康の養女を母(菊姫)とする忠直が後継者となったことから、藩主にはなれなかった。ところが忠直は疱瘡に罹り、わずか23歳で亡くなる。そして子の光茂が第2代藩主となる。そのため鍋島藩には奇怪な伝説が生まれるようになった。
城下の町に、竜造寺又一郎という、若い侍がいた。盲人で母と黒猫一匹とひっそりとした暮らしである。ある日、家老の小森半佐衛門に命ぜられて、殿様の囲碁の相手をすることになる。又一郎は碁の名人である。殿様はさんざんに負けて、又一郎を斬り殺した。その死骸は、家老がこっそりと隠した。ところが又一郎の首だけが無くなっている。それからすこし経ったある日、又一郎の母が黒猫が又一郎の首を銜えているのを見た。母はくやしさで怒り、「怨みをはらしておくれ」と猫に言いながら憤死した。それから次々と鍋島家の人々に恐ろしい事件が起こる。いろいろ脚色されているので、真相は謎のままである。
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佐賀で聞いた話だけど、竜造寺又一郎は殿様に斬り殺されたのではなく、暴れ狂って掘に落ちて死んだのを殿様に殺されたと勘違いした母親が敵討を猫に託して自殺したそうですよ。
そして、敵討を託された化け猫は殿様に諭されて命を救われ、千布家に預けられて鍋島藩を守るようになったとのこと。
そうでなければ鍋島藩は、幕末に戊辰戦争で官軍を勝利に導いた軍事力を持った時点で幕府に目を付けられて取り潰されていたことでしょうし、URLのようなボートレースのCMで化け猫が踊ることはなかったでしょう。
しかし、今の化け猫がこんなにかわいいのなら、我が地元の釣り船屋さんの鍋島さんのところで客引きをやってほしいです。
この鍋島さんですが、我が地元に来て魚釣りのガイドをしたり地元の特産品を作ったりして地元を元気にしてくれたので、地元の人は鍋島さんを鍋島藩の名君の鍋島直正にあやかって、「鍋島直正」と呼ぶようになった?そうです。
ちなみにホームページもあります。
このホームページは、グーグルなどで「鍋島の琵琶鱒」で検索して出てくる
プロフィール - ビワマス‖釣り‖トローリング‖奥琵琶湖フィッシング ...
の文字をクリックしてください。
このホームページで、私のオススメは我が地元のことが描かれている
「OFCのブログ」
です。
投稿: 滋賀県奥琵琶湖の住人 | 2013年8月14日 (水) 11時21分