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明治から昭和初期にかけてオーストラリア北部アラフラ海、トレス海峡の木曜島を中心にボタンの材料になる白蝶貝や宝飾としての真珠貝の採取が盛んであった。日本とオーストラリアとの採取競争が激化したが、オーストラリア業者は不況による態勢で、日本は好況となる。木曜島は白蝶貝採取の一大拠点となり、全盛期には島民の7割近くが日本人だった。一方で、潜水は危険を伴い、木曜島だけで約700人の日本人が亡くなっている。快傑ハリマオに「アラフラの真珠」という一篇がある。戦後はプラスチック製ボタンが普及し、白蝶貝の需要は激減した。また、1960年代末にタンカーが座礁し、流出した油が汚染され、真珠貝は壊滅した。
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