次位者の嘆き
1912年1月17日、ロバート・スコット(画像)は南極点に到達した。しかし前年12月にアムンゼンが到達し、遅れること35日あとだった。落胆を胸に本船に戻ろうとするが、途中、吹雪に遭って一行4人とも凍死し、ついにそのまま帰還することなく死んだ。
スコットほど悲劇的な次位者は他にみないが、たいがい次位者は損をしている。札幌農学校クラーク博士の後を継いだ2代目教頭、ウィリアム・ホイラーは現在の札幌の基礎を作ったがクラークのように有名ではない。
聖フランシスコ・ザビエルが日本で布教を始めたときに、通訳をした日本人ヤジロウ(アンジロー)の事は余り詳しく分からない。クリストファー・コロンブスは1949年から4回にわたり西インド諸島、中米を航海して、彼がアメリカ大陸の「発見」といわれているが、ファン・デ・ラ・コーサ(画像、1460-1510)も1回から3回まで船長として同航している。
アイドルの登竜門、ホリプリスカウトキャラバン。第1回は榊原郁恵。では第2回のグランプリ受賞者はだれ。西村まゆ子だった。東京オリンピック男子マラソン。寺沢徹(倉レ)、君原健二(八幡製鉄)、円谷幸吉(自衛隊)。次点は中尾隆行(東急)だった。
1970年5月11日、植村直己と松浦輝夫、2人の日本人が初めてエベレスト初登頂に成功した。植村直己の名前は誰もが記憶するが、松浦輝夫の名前を記憶する人は少ない。田部井淳子と渡辺百合子も田部井だけが有名人になった。水泳の古橋広之進と橋爪四郎も良きライバルだったが、古橋の名前だけが残っている。
フランスのルイ・ブレリオはライト兄弟の初飛行に遅れること6年、1909年に英仏海峡38㎞を36分35秒で横断に成功した。
人類初の宇宙飛行をしたユーリイ・ガガーリンの名前は誰でも知っている。では2番目に宇宙へ出た人は。アメリカの宇宙飛行士アラン・シェパードである。ガガーリンに遅れることわずかひと月。1961年5月5日、アランはマーキュリー3号で宇宙に向かった。ただし、その飛行は15分28秒の弾道飛行であった(ガガリーンは地球を一周の108分)。その後、彼は1971年にアポロ14号に搭乗し、月面に降り立った5人目となったこの。この際、月面でゴルフをするというパフォーマンスを行った。同じくソ連人の2番目の宇宙飛行士グルマン・チトフもガガーリンほど有名ではない。
« 世紀末パリ カフェと電灯 | トップページ | 木曜島の白蝶貝 »
「人国記」カテゴリの記事
- 著名人のペット(2012.06.09)
- 「ろ」ファースト・ネームから引く人名一覧(2019.01.10)
- 「し」 ファースト・ネームから引く人名一覧(男性)(2018.12.14)
- 「あ」 ファースト・ネームから引く人名一覧(2019.01.04)
- 平将門(2019.02.14)
コメント