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2015年5月 3日 (日)

世紀末パリ カフェと電灯

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  19世紀パリは「芸術の都」と呼ばれるようになる。そして1900年をはさんで前後30年間ほどの時代を、フランス人は回顧的にベル・エポック(古き良き時代)と呼んでいる。それが1914年の第一次世界大戦勃発をもって終焉したことは明らかであるけれども、その始まりを具体的にどの時点に置くかという点では意見はいくつかに分かれる。1875年のパリ・コミューン鎮圧後の第三共和制の成立、1880年7月14日の革命記念日、1889年のパリ万国博、などベル・エポックの開幕とする見方はいろいろある。

  近代都市パリはセーヌ県知事オスマン男爵のパリ大改造の都市計画によって生まれかわった。道路は整備され、大通り(ブルヴァール)が作られ、鉄道が敷かれ、電灯が灯り、鉄とガラスによる新しい時代を告げる建築が建てられ、カフェや劇場は賑わいを見せ、パリジャンたちは良き時代の生活を謳歌した。それは、「19世紀の首都」(ベンヤミン)と呼ばれるにふさわしいものであった。 

   印象派の画家たちが登場したのもちょうどこの頃である。カフェ・ゲルボアが印象派と、カフェ・ヴォルテールが象徴派と結びついた存在であったことはよく知られているが、カフェ・プレバン、フランスカッティ、トルトニ、カフェ・アングレ、カフェ・ナポリタン、カフェ・ド・ラ・ぺ、カフェ・ド・パリ、カフェ・リッシュ、あるいはドーム、ロトンド、セレクト、クーポールといったカフェが、19世紀末から20世紀初頭にかけてのパリの芸術界でいかに大きな役割を果たしたかについては、強調してもしすぎることはあるまい。記録によれば、1900年までにパリに27000軒のカフェがあった。モネ、シスレー、ピサロ、ルノアール、ゴッホ、ベルナール、あるいはカイユボットがさまざまなブルヴァール風景を描いた。しかし、記録という点では写真家も忘れてはならない。ルイ・ヴェール、セベルジェ兄弟、ウジェーヌ・アジェなどはベル・エポックを代表する写真家たちである。 

   カフェはただコーヒーを飲むところではなかった。パリのパサージュを遊歩するフラヌール(遊民)なる存在はすでにボードレールにおいて先駆的に体現され、そしてそれについてはヴァルター・ベンヤミンが論じている。カフェは芸術家、都市遊民(ボヘミヤン)、社交界の女、高等娼婦(ドゥミ・モンデーヌ)、労働者などなどさまざまな階層の人々の溜まり場となった。この時代にパリの人口は200万から300万に増加した。まさにパリは独特の香気にみちた快楽都市、モダン・バビロンとしてヨーロッパの中心都市として君臨することになる。電灯の普及で夜のパリは明るくなった。日本で初めて電灯が点いたのは、1887年1月22日、鹿鳴館である。(世界史)

 

 

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