ペリー提督から献上された汽車の模型
1854年、米国東インド艦隊司令長官ペリー率いる黒船が再来航した。今度は、将軍へ33種類に及ぶ献上品を持参した。なかでも蒸気機関車の模型が幕府の役人たちをその力強さとスピードでたいへんに驚かせた。大陸横断鉄道の敷設事業に着手したばかりのアメリカにとって鉄道は文明のシンボルの一つだったので、模型列車はそのデモンストレーション用だった。2月15日、横浜に陸揚げされ、幕府の横浜応接所裏の麦畑で、一周約110mの円状軌道が敷設され、8日後の2月23日に運転が公開された。4分の1のスケールで機関車は長さ18mあり、石炭を焚いて時速32㎞で走り、人が客車の屋根にまたがって乗ることができる立派なものであった。汽車模型が日本に近代文明の力を見せ付けるインパクトを十分に与える役割に成功した。
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