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2015年4月 5日 (日)

更新世の日本の先住民

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    この日本列島に人類はいつ頃から住みついたのであろうか。更新世の末期(約4万~1万年前)になると、現生人類があらわれ、石英岩などの剥片を加工してつくった石器を用いたり、骨や角を材料とした槍や銛、釣針などの骨角器をさかんに使用して、採集や狩猟・漁撈の生活がユーラシアでみられた。だが、東アジアの東端に位置する日本列島に、果たしてこのような旧石器の人類が居住していたかどうかは、長い間、学者によって研究が続けられていたが、戦前の学界では旧石器時代の遺物というものは学界の認証を得ることができなかった。1949年に群馬県岩宿のローム層の中から、打製石器が出土することが確認された。その後、同様な石器は日本の各地で発見されるようになり、今ではおよそ3万年前の最終氷期以降の遺跡だけで3000箇所以上も発掘されている。

    だが今にして考えると不思議である。ユーラシア大陸と日本列島の一部が陸橋で繋がっていたという認識はあったのだから、狩猟民(古モンゴロイド)がやってきたということは想定できるはずである。それは日本の学界では、頑なまでの実証主義が支配していたからであろう。実際に人間が加工したと証明できる石器が出土されるまでは想像で歴史を語ることは禁じられてできなかったのである。すでにアメリカではカリフォルニア大学のマシュー・スターリング(1896-1975)が1939年から40年にかけオルメカ文化の本格的な調査が行なっていた。1950年代初頭には放射性炭素測定で、紀元前1160年より紀元前580年という結果がでている。つまりすでに前1000年ころに新大陸には宗教性をともなう旧石器文化が成立しているのに、中国、朝鮮と大陸文化に近い日本に旧石器文化が成立していたであろうことは、比較文化史として検討すれば学生にでもわかることである。いかに戦前の学界が旧弊に縛られていたかということであろうか。

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コメント

初めまして。
22歳女性です。
真理の友教会の事件について、当時どのくらい大きく取り上げられていたのか、社会の反応はどうだったのか、その他当時のことについて教えていただけないでしょうか。

当時の記事としては朝日ジャーナル1986年12月26日号に「真理の友教会集団自決事件を歩く」石塚雄人があります。しかし真理の友教会の集団自決が1979年の「イエスの方舟事件」(千石イエスには犯罪性はなかった)や1992年の「統一教会合同結婚式」などのように連日ワイドショーを賑わしたという記憶は私にはありません。

ありがとうございました。

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