インドでなぜ仏教は衰退したのか?
4月からのNHK高校講座世界史が変わった。朝鮮の歴史内容に一部の人から抗議があったらしい。小日向えりが見られなくて残念、眞鍋かをりがリーダーをつとめる。初回は「世界史への招待 グローバル・ヒストリーの中の現代」温暖化の人類への影響。氷河期と間氷期の話やら、人為的なCO2の話やらで実際よくわからない内容である。1万年前の農業生産革命、16世紀のイギリスの農業革命、そして18世紀の産業革命、すべてが気候変動で説明可能なのだろうか。やはり世界史の解説はオーソドックスに人類の出現から始めてほしい。これまで人類の進化は、猿人→原人→旧人→新人、と段階的に進化したという考え方が支配的だったが、現在ではホモ・サピエンス(現生人類)だけが生存して、全世界に広がり子孫を残したと考えられている。人類の起源は約700万年前というのも定説となっている。猿人は別として、原人以降、一種の人類しかいなかっとする考えは否定され、およそ6属20種に放散し、競い合い、多くは絶滅した。そして約20万年前(約15万年前、10万年前など諸説ある)にアフリカの中南部のどこかでホモ・サピエンスが現れたとする。
第2回「古代インド 仏教とアショーカ王」 前3世紀ころ、インド・マウリヤ朝のアショーカ王は仏教を信仰し、ダルマにもとづく政治を行った。紀元2世紀に現れたクシャーナ朝のカニシカ王もあつく仏教を信じ、仏教は西北インドを中心に大いに栄えた。しかしインドではグプタ朝以後急速に衰えていく。では何故インドで誕生した仏教がその後、衰退したのか?大きく2つの要因が考えられる。外的な要因は、バラモン教からの攻撃である。バラモンは王のための儀礼を行うため、王権と結びつく。そのため、王にとってバラモンたちは非常に都合のよい存在になった。するとバラモンたちは力を持つようになり、人々の信仰を自分たちの中に取り入れて、ヒンドゥー教に変化させていった。そして力を持ったバラモンたちが、仏教を攻撃することになった。内的要因は、2つ存在する。1つ目は後援者たちの弱体化である。仏教を支持した階層は、バラモンの身分的な考えに反発を持っていた都市の商人たちだった。グプタ朝の後は、インドは暗黒の時代といわれ、商工業が衰退していった。これにより都市も衰退し、商人たちの力も衰えていくために、仏教僧たちを支えられなくなった。2つ目の内的要因は、仏教の内向化である。僧侶の間での出世や、より広い家に住みたい、より美味しいものを食べたいなど、ある意味で堕落してしまったことが要因だった。そのため、外に対するエネルギーがなくなり、布教活動は非常に少なくなってしまったと考えられる。このようにインドでは、外的な要因と内的な要因が絡み、徐々に仏教が衰退していった。
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