無料ブログはココログ

« ユーラシアの地名の由来は? | トップページ | 「ゆ」 ファースト・ネームから引く人名一覧 »

2015年4月26日 (日)

江戸時代の書肆

Img_0005
   
耕書堂の店先(画本東都遊)

    江戸時代の出版文化の隆盛ぶりは、朝鮮半島から来日した朝鮮通信使の記録にも見られる。享保4年(1719年)、第9次朝鮮通信使の製述官(書記官)として来日した申維翰( シン・イハン)は、その日記「海游録」で大坂の賑わいを次のように記している。

書林や書屋があり、看板をかかげて、曰く柳枝軒、玉樹堂などなど。古今百家の文籍を貯え、またそれを復刻して販売し、貨に転じてこれを蓄える。中国の書、我が朝の諸賢の撰集も、あらざるはない

   日本における万般の書の流通と書肆が書物によって利潤を得ていることに驚いたのである。朝鮮、中国ではまだ出版文化は形成していなかったが、江戸時代の出版文化の隆盛は世界的にもめずらしいものであろう。

   さて、申維翰が触れた「柳枝軒」は、京都六角通御幸町西入の書肆、茨城屋小川多左衛門の軒号。この店は初代が経書や禅宗関係書の廉価販売で成功を収め、二代の時には貝原益軒の教訓書や実用書、紀行などを販売した。「玉樹堂」は、京都西堀川通仏光寺下ル町の唐本屋吉左衛門で、「唐詩鼓吹」や「明詩大観」などの漢詩関連書や伊藤仁斎・息子の東涯の詩文集や「中庸発揮」「孟子古義」といった経書注釈書などを出版した書肆である。

   挿図は、江戸の蔦屋重三郎(1750-1797)の書肆「耕書堂」である。出版と販売の両方を行なっていたが、黄表紙・洒落本・狂歌集から浮世絵も扱って歌麿や写楽らを世に出した。

参考;長友千代治「江戸時代の書物と読書」 東京堂出版 2001

« ユーラシアの地名の由来は? | トップページ | 「ゆ」 ファースト・ネームから引く人名一覧 »

「日本史」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« ユーラシアの地名の由来は? | トップページ | 「ゆ」 ファースト・ネームから引く人名一覧 »

最近のトラックバック

2017年10月
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31